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1999年(平成11年)11月4日 第1920号

週刊仏教タイムス

政教分離原則を確認する   白川勝彦議員に聞く

─従来から白川代議士は、創価学会と政教一致の関係にある公明党の政権参加は、「いかなる宗教団体も国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」との、憲法二十条一項後段の「政教分離」規定に違反すると主張されています。これに対して創価学会・公明党は、昭和四十五年の言論出版妨害事件を契機に、創価学会・公明党が掲げていた「国立戒壇」論や「王仏冥合」論が憲法に違反するとして国会で問題になった時に出された政府見解や内閣法制局長官の答弁を引用して、憲法二十条一項後段の「政教分離」規定は、国家と宗教の関係、あるいは国家権力と宗教団体の関係であって、宗教団体と政党すなわち創価学会と公明党との関係ではないと反論。白川代議士の主張は誤りだと大々的に宣伝しています。これについてどう思われますか。

日本国憲法 第二十条

1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されな
い。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

白川

 まず第一に指摘したいのは、内閣法制局長宮の答弁内容がどういうものであるかということです。平成五年の大出長官、そして平成七年の大森長官の答弁を読んでみると、一般論としての宗教団体の政治活動の自由についての言及はあるが、創価学会と公明党の関係を論じているわけではないんです。宗教団体に政治活動並びに選挙運動はできるかと問われて、それは結構ですと答えているに過ぎない。また、宗教団体の推薦を受けた人物が国務大臣に就任するということについても、法的には別人格ですから、必ずしも「政教分離」原則に違反するものではないと言っているんです。ところが、創価学会・公明党は、法制局長官の一般論としての答弁を、あたかも創価学会・公明党の関係について発言したかのように我田引水し、鬼の首でも取ったかのように宣伝しているのです。

 そもそも創価学会・公明党は、憲法二十条一項後段の解釈について、これを国家と宗教の関係だと規定していますが、その解釈が妥当なのかどうか、きちんと検証する必要があると私は思っています。

 創価学会・公明党は、憲法二十条一項後段の「政教分離」原則を、国家と宗教との関係と位置づける理論的根拠として、条文にある「政治上の権力」とは、裁判権や徴税権、警察権などの「統治的権力」を意味すると主張している。したがって、これは国家権力だと言うんです。しかし、日本国憲法を解釈する上での重要なメルクマールであるマッカーサー草案に照らしてみると、そこには次のように書いてあるんです。

No religious organization shall receive any privileges from the State, nor exercise any political authority

 「政治上の権力」に該当する部分には「political authority」とあります。これは「政治上の権威」を行使してはならないという意味と解釈できます。創価学会・公明党が言うような、国または地方公共団体がもっている「統治的権力」の行使を禁止するという意味ではありません。

 もし、「統治的権力」を指すのであれば、その場合は「political power」と書かれなければならない。したがって「統治的権力」の利用を禁止するものだという創価学会・公明党の主張は語彙の解釈という点から見てもおかしい。

─憲法の「政教分離」の規定を踏まえるならば、宗教団体が「統治的権力」を持つということ自体、そもそもありえないと白川代議士は主張されていますが。

白川

 考えてもみてください。厳格な「政教分離」を求める現憲法のもとで、特定の宗教団体が徴税権・警察権・裁判権を国から委託され、行使することなどあり得るはずがありません。裁判は裁判所が専決することになっています。税金の徴収を国が特定の宗教団体に委託するなどということはありえない。もし、創価学会・公明党の主張を額面通り受けとめるならば、憲法二十条一項後段の規定は、なんら実効性のない、意味のない規定ということになってしまう。そうした点から考えても、創価学会・公明党の解釈が正しいとは言えないと思います。

─こうした憲法の「政教分離」原則についての議論が、憲法学界では全く行われていないという点も、問題ですね。

白川 

 そうなんです。憲法学界の実状を端的に言わせてもらうならば、創価学会と公明党との関係を想定した上での憲法論議がまったくといっていいほどなされていない。したがって、創価学会と公明党との関係をきちんと把握したうえで憲法の「政教分離」の解釈をどうするかについて、きちんと検証、考究した論文がないんです。いわば教科書がない。にもかかわらず創価学会・公明党は教科書がないこと、すなわち創価学会・公明党の関係を検証した上で憲法論議がなされていないという事実を奇貨として、憲法の「政教分離」についての解釈は、国家と宗教の関係とするのが憲法学界の通説であり、この問題はすでに決着済みだと主張している。これは全くおかしな話です。

─もとより憲法学界の意向や政府見解、内閣法制局の見解は、憲法を解釈する上での指標であることは間違いありませんが、最終的な解釈ではないわけですから、政府見解や憲法学界の通説を「錦の御旗」のように振りかざすこと自体、おかしい。

白川

 最終的な憲法解釈はなにかと言えば、最高裁判所の判例です。最高裁判所が、創価学会という特定の宗教団体に実質的に支配されている公明党という政党が政権に参画することが、憲法に抵触するかどうか、その是非について結論を出した時に、法律的には決着がついたということになるわけです。内閣法制局長宮の答弁、それも創価学会と公明党の関係をストレートに答えているわけでもない答弁を金科玉条の如く振りかざし、あたかも最終決着であるかのように主張する創価学会・公明党の姿勢は、憲法論の上から言っても間違っている。

 私が、公明党の政権参画は憲法二十条に違反していると指摘すると、異常とも言えるほど過敏かつ過剰に反応するのは、それだけ痛いところをつかれているということではないんでしょうか。

─白川代議士は、九月末に放送されたテレビ朝目の『朝まで生テレビ』に出演され、創価学会の西口浩広報室長あるいは公明党の白浜一良参議院議員、遠藤乙彦、北側一雄両代議士らと、直接、「政教分離」問題について討論されましたが、今後、国会の内外でもこうした議論が大いになされる必要があるのではないでしょうか。創価学会・公明党は大きな媒体をもっていますし、巨大な金権力を背景に学界や世論を操作する力をもっている。放っておくと創価学会・公明党の憲法解釈が、既成事実化してしまうおそれがある。日本における「信教の自由」と「政教分離」の原則を守っていく上で、この点はゆるがせにできない大きな問題だと思いますが。

白川

 私は議論しています。また、自民党の中でも同じような意見をもっている人はいっばいいますが、今後、国会での論戦という点では、野党がこの問題をどう考え、どういう形で問題提起するかということにかかっていると思う。

 おそらく野党は創価学会・公明党に関する「政教分離」問題を取り上げると思います。ただ、その時に注意してほしいのは、この問題は決して打算的な思惑でやってはならない、損得は抜きで考えて欲しいということです。

 というのも、従来、創価学会・公明党の関係を含む「政教分離」問題を取り上げる政治家の姿勢に問題があったからです。創価学会・公明党の存在が自らにとって不利な時は、「創価学会と公明党は政教一致であり、憲法違反だ」と批判する。ところが、逆に創価学会・公明党が擦り寄って来ると、途端に「政教分離」問題を不問に付す。極めてご都合主義的というか打算的な対応をしてきた事実がある。その結果、創価学会・公明党のマキャベリスティックな戦略に籠絡されてしまった。この問題を取り.上げる以上は、しっかりとした襟度をもってのぞむ覚悟が必要でしょう。

 私は、憲法十九条の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という規定と、憲法二十条の「信教の自由」の保障は、基本的人権を保障する一連一体の規定だと理解していますが、この条文は、日本国憲法の基幹であり、わが国は自由主義体制でいくということを宣言した重要な条文だと考えています。したがって、「信教の自由」を担保する「政教分離」原則について、きちんとした意見が言えるかどうかは、政党ならびに政治家にとって、真に自由や人権を守る政党であるか否かのリトマス試験紙だといっても言い過ぎではないと思います。

 ですから、その点をきちんと踏まえた議論がなされることを期待しています。

─今回の自・自・公連立政権の発足に際しても、創価学会・公明党は非学会員の続氏を入閣させるなどマキャベリスティックな動きを展開しています。

白川

 学会員ではない続訓弘氏を総務庁長官に登用したという点ですが、これは各種の世論調査の結果に示されているように、国民の間に自・公連立に対する批判、アレルギーが非常に強い、また自民党内にも学会員の入閣を危惧する声があるので、非学会員を登用することで批判の矛先をかわそうという狙いなんでしょう。しかし非学会員が登用されたからといって、政教一致体質が変わったわけではない。したがって国民の皆さんは、こうした動きに幻惑されることなく、事の本質をよく見極めていって欲しいとおもいます。おそらく、創価学会・公明党としては、続さんの入閣で地ならしをした後、学会員を大臣に送り込むという二段構えの戦略を取るつもりなのではないですか。

 それと政権に参画したとたんに公明党が、全日仏や新宗連などに対し、さかんにアプローチしていることを、私は、とても危倶しています。というのも、これまで「邪宗・邪教」と忌み嫌い、相手にもしてこなかったにもかかわらず、政権参画を契機に、突然、「信教の自由」を保障するので交流しましょうと言ってきているわけですが、政権入りと同時にそうした行動をとること自体、極めて傲慢というか、居丈高になっている感じがするのです。

 実際、私と知己の教団関係者は、「公明党は政権党です。その政権党と皆さん交流しなくていいのですか」と恫喝されているように感じたと話していました。

 まさにこういうことが、「political authority」の行使形態の一つと言えるのではないでしょうか。

─自・自・公連立政権の発足を受けて宗教者に望みたいことはありますか。

白川

 創価学会・公明党の問題を含む「政教分離」問題について、私どもが真剣に取り組むのは、今の日本にとって自由や人権が重要であり、これを守らなくてはならないと思うからこそやっているのであって、宗教団体から頼まれたからやっているというようなレベルではありません。

 そうした姿勢に関連して率直に言わせていただければ、「信教の自由」にストレートに結び付く問題であるにもかかわらず、「政教分離」問題に取り組む宗教者や宗教団体の姿勢が脆弱のように思われます。教団幹部あるいは信者のかたがたと話す機会もありますが、正直、熱いものが感じられないのです。

 もし、この問題で立ち上がることができない、団結することができない宗教者もしくは宗教団体があるとすれば、必ず将来その責任を宗教者の内部からも問われる時が来るでしょう。いまこそ宗教者は自らの生命線である「信教の自由」を守るためにどのような行動をすべきか、真剣に考究し立ち上がるべき時なのではないでしょうか。私にあえて言わせていただきたい。
「すべての宗教者、団結せよ!」

(おわり)

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