フォトエッセイ 即写寸言
※出版を祝う会in十日町
なんとか自宅でWWWに接続できるようになった。しかし、いろいろなソフトをまだインストールしていないので、使い勝手がすこぶる不具合である。私がいちばん心配したのが、即写寸言のupdateであった。苦労したがなんとかupdateできた。まず私が事務所開設と出版の報告をした。著者自ら『政権崩壊』の説明と宣伝である。このパーティで持って行った本を完売できた。ありがとうございました。
[大きな画像で見る]乾杯のご挨拶をいただく。
私の挨拶が終わり、前島田後援会長から乾杯のご挨拶をいただく。この後、楽しい宴会が始まった。その写真は沢山あるが、多過ぎてとても全部を掲載することはできない。
[大きな画像で見る]各テーブルで記念写真
パーティの途中で各テーブルの皆さまと記念撮影。私と皆さまの表情を見れば、当日の雰囲気を分かっていただけると思う。
[大きな画像で見る]※終にテレビがダメになる。
私の大事な情報源であるテレビが終に映らなくなった。『サンデープロジェクト』を見ようと思っていた矢先である。金融問題をやっていたのでどうしても見たかったのであるが、音声も聞き取れない。前々からBSも見れる液晶テレビを買おうと思っていたのだが、終にその時が来た。この写真は買ってきた液晶テレビを設置する前の写真である。before 前面である。
[大きな画像で見る]before 横
引退するテレビを横から撮った。このテレビは私が買ったものではない。家内が結婚前に買って見ていた物ではないか。大変な年季物である。これまでも時々故障していたが、テレビの上に物を置けるので、液晶テレビにあまり魅力がなかった。私の狭い部屋ではテレビの上は貴重な空間なのである。
[大きな画像で見る]after 前面
古いテレビを退けるのはいとも簡単だったが、買ってきたテレビを映るようにするのは極めて困難だった。住んでいるマンションには共同アンテナがあり、地デジもBSも見られると聞いていたので据え付けるだけでよいと思っていたのだが、とんでもなかった。2時間くらいして漸くBS放送だけ映るようになった。果たしてお年寄りが買ってきても見られるようにできるのだろうか。待てよ、私も立派なお年寄りか!?
[大きな画像で見る]after 横
なんとか映るようになったので、取り敢えず設置作業を終えてテレビを見る状態においた。アナログテレビがおいてある状態より、鞄との間がずいぶん空いている。後にずらすとプリンターの紙が出てくるところにぶつかってしまう。BSとぼやけた地上波アナログ番組しか映らない。これは後日の課題だ。疲れたので作業はここまでとした。
[大きな画像で見る]※即写寸言、再開。記念すべき一葉
愛用のデジカメが修理から帰ってきた。また即写寸言を始めます。ご愛読のほどお願いします。
さて再開第一号はいささか刺激的な写真である。この写真が刺激的なのではない。2ヶ月前の写真と比較すれば、実に刺激的な筈である。これにはいささかの理由があるのであるが、それは後日永田町徒然草で報告する。
[大きな画像で見る]いかにも役人的なお仕事
上の写真の花壇の上部である。綺麗に草叢は刈られているがただそれだけのことである。いかにも役人的な仕事である(笑)。
[大きな画像で見る]1964年東京オリンピックの中央門には
以上は間違いなく1964年メインスタジアムの中央門前の写真である。現在この中央門はほとんど使われていないようである。だからほったらかしていたのだろうか。 しかし、やはりそれはないだろう。記念すべきものは記念碑として努力して保存するものである。そしてそれは記念碑となり名物となるのである。文化とはそういうものである。
[大きな画像で見る]※真夏の明治神宮本殿の正面の鳥居
明治神宮の中央にある本殿正面の鳥居である。この鳥居の先には正面の門がある。その正面に本殿がある。今日はその中の紹介ではない。鳥居と一緒に本殿と他の空間を隔する木塀と竹柵を紹介する。日本建築のひとつの考え方が分かるような気がする。私は本殿に入る前に塀の周りを1周してから、本殿に入り参拝する。
なお、この写真を撮ったのは8月3日久しぶりに明治神宮に炎天下の散歩に行った時である。永田町徒然草No.889「炎天下の散歩の効用」を参照されたい。
[大きな画像で見る]本殿を取り囲む塀
本殿正面の鳥居の左右にこのような塀がある。この塀と竹柵に関しては下で述べる。
[大きな画像で見る]塀はこのようなものである。
上の写真の塀(?)に着目して撮ったものである。これは柵ではなくてやはり“塀”なのであろう。この内側に廟の塀のようなものがさらにある。この塀の役割は、神聖な本殿と廟のような塀を守ることにあるのだろう。中にある廟の塀はもう少し塀らしい。この塀は隔てるだけの役割しかない。だから、隠してはいないのである。隔てているだけなのである。
[大きな画像で見る]竹の柵と燈籠
二つ上の写真の竹の柵に着目して撮ったものである。竹の柵は人の落下を防ぐための柵ではない。竹の柵の外は藪である。竹の柵はこれを遮ろうとしている訳ではない。隠そうともしていない。藪と一緒に見るとこれは一種の造形である。燈籠もその用はないのだ。通常夜に明治神宮の境内に入れない。だからこの燈籠に火が灯もることがない。しかし、この燈籠があることによって、この一角が美しい空間となる。
[大きな画像で見る]※東京オリンピックの表玄関は!?
8年後の東京オリンピックの招致の先頭に立って旗を振っているのが石原都知事である。オリンピック招致の理由として「あの東京オリンピックの感動を再び!!」という。確かに私たちの世代に東京オリンピックは大きな感動を与えた。
ところが、東京オリンピックのメインスタジアムであった国立競技場の正門の現状は、この写真の通りなのである。どう考えても、これは感動的な光景ではない。“兵どもの夢の跡”と思わざるを得ないような表玄関の夏草である。東京オリンピックの感動を口にする者は、この現状を知らなければならない。歴史だ、伝統だという石原都知事一派の胡散臭さは、この辺にある。
[大きな画像で見る]白川勝彦の日々のアルバム
2003年第43回衆議院総選挙や2004年十日町市々長選挙のデジカメ写真記録です。
国会TV 政治ホットライン出演記事
ちょっと動きが感じられるTVからのキャプチャ画像群で、番組を再現しています。
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