フォトエッセイ 即写寸言
※真夏の明治神宮本殿の正面の鳥居
明治神宮の中央にある本殿正面の鳥居である。この鳥居の先には正面の門がある。その正面に本殿がある。今日はその中の紹介ではない。鳥居と一緒に本殿と他の空間を隔する木塀と竹柵を紹介する。日本建築のひとつの考え方が分かるような気がする。私は本殿に入る前に塀の周りを1周してから、本殿に入り参拝する。
なお、この写真を撮ったのは8月3日久しぶりに明治神宮に炎天下の散歩に行った時である。永田町徒然草No.889「炎天下の散歩の効用」を参照されたい。
[大きな画像で見る]本殿を取り囲む塀
本殿正面の鳥居の左右にこのような塀がある。この塀と竹柵に関しては下で述べる。
[大きな画像で見る]塀はこのようなものである。
上の写真の塀(?)に着目して撮ったものである。これは柵ではなくてやはり“塀”なのであろう。この内側に廟の塀のようなものがさらにある。この塀の役割は、神聖な本殿と廟のような塀を守ることにあるのだろう。中にある廟の塀はもう少し塀らしい。この塀は隔てるだけの役割しかない。だから、隠してはいないのである。隔てているだけなのである。
[大きな画像で見る]竹の柵と燈籠
二つ上の写真の竹の柵に着目して撮ったものである。竹の柵は人の落下を防ぐための柵ではない。竹の柵の外は藪である。竹の柵はこれを遮ろうとしている訳ではない。隠そうともしていない。藪と一緒に見るとこれは一種の造形である。燈籠もその用はないのだ。通常夜に明治神宮の境内に入れない。だからこの燈籠に火が灯もることがない。しかし、この燈籠があることによって、この一角が美しい空間となる。
[大きな画像で見る]※東京オリンピックの表玄関は!?
8年後の東京オリンピックの招致の先頭に立って旗を振っているのが石原都知事である。オリンピック招致の理由として「あの東京オリンピックの感動を再び!!」という。確かに私たちの世代に東京オリンピックは大きな感動を与えた。
ところが、東京オリンピックのメインスタジアムであった国立競技場の正門の現状は、この写真の通りなのである。どう考えても、これは感動的な光景ではない。“兵どもの夢の跡”と思わざるを得ないような表玄関の夏草である。東京オリンピックの感動を口にする者は、この現状を知らなければならない。歴史だ、伝統だという石原都知事一派の胡散臭さは、この辺にある。
[大きな画像で見る]この人物はクーベルタンか?
これは東京オリンピックを記念するレリーフである。人物は近代オリンピックの父クーベルタンなのだろうか。自信はない。上の写真の正門に向かって左側に鎮座されている。
[大きな画像で見る]※半年ぶりに明治神宮を訪れる
昨日の梅雨の晴れ間に半年ぶりに明治神宮まで散歩に行った。少しは運動をしないと思い、散歩をしようと決意したのだ。実に半年ぶりの明治神宮である。原宿門の鳥居は修復の工事をしていた。明治神宮に行くようになってはじめてのことだ。
参道を歩いて行くと、このパネルが掲げられていた。ふだんは明治天皇御製の和歌が掲げられているのだが、今回は五箇條の御誓文が掲げられていた。これは特別なことである。五箇條の御誓文が発せられたのは大政奉還の直ぐ後だったと思う。そうすると今年は明治140年ということか。関係ないことだが私の親父は明治33年――1900年生まれであった。私にとって明治は実在感のある時代なのである。
菖蒲が植えられている所
明治神宮の中に池があり、そのちょっと上に菖蒲が植えられている田圃のような所がある。今回わざわざ明治神宮まで足をのばしたのは、菖蒲の花を紹介したかったからである。紫陽花の話ばかりしているが、梅雨どきの花には菖蒲もある。ただ紫陽花は東京でもあっちこっちで目にすることができるが、菖蒲は特別な所でないとお目にかかれない。私が育った十日町市ではかなりあっちこっちで目にすることができた。東京では池や湿地は少ないのだ。
[大きな画像で見る]菖蒲を接写する
菖蒲が咲いている田圃のようなところに近づいて菖蒲を撮影する。私のデジカメよりもっと立派なカメラを持っているその道のプロと思しき人が一杯いた。この写真ももっと接写した方がよかったようだ。
[大きな画像で見る]こちらの方が私は好き
白い菖蒲の隣には紫の菖蒲が咲いていた。私はこちらの方が上品に感じられた。紫は上品で高貴な色のためのせいか。
[大きな画像で見る]※初めてみた紫陽花の鉢植え
紫陽花はふつい樹木の根元などに植えられている。紫陽花だけが植えられているのもない訳ではないが、紫陽花の鉢植えは珍しい。少なくとも私は初めて見た。実は昨日これを見つけたのだが、そのときデジカメをもっていなかった。今日デジカメをもってそこに行った。まだ置いてあり、花も昨日と同じように咲いていた。今日は夏のような天気であった。昨日は梅雨空だった。少し雰囲気が違っていた。紫陽花はやはり雨の日が良い。
注この花は正確には額紫陽花(がくあじさい)という。紫陽花の母種とされる。
[大きな画像で見る]これも額紫陽花の鉢植え
これも額紫陽花の鉢植えである。上の鉢植えもこの鉢植えも、青山のとある“めし処”の店先の飾り(デコレーション)である。珍しい物を見せて貰ったので、奮発してこの店の「穴子のてんぷら御膳」を注文した。“1日限定10食”というところが気に入った。なかなかの味だった。
[大きな画像で見る]※東京オリンピック――今や昔
東京が2016年オリンピック候補地の第一次予選に残った。これからオリンピック招致の派手な運動が繰り広げられるのであろう。この写真は1964年東京オリンピックのメインスタジアムであった国立競技場中央門(正面玄関)を写したものである。中央門前の花壇は写真のように草ボウボウである。中央門の横の通路は、崩れかかっている。再びオリンピックを招致するのも結構だが、栄えある東京オリンピックのモニュメントでもある国立競技場の正面玄関をこのように荒らしておくのは何故なのだろう。国立競技場の所管が文部科学省(?)だからなのであろうか。1964年東京オリンピックのメイン・スタジアムの正面玄関は、このように荒れている。今や昔の風情である。嗚呼・・・・。
[大きな画像で見る]東京オリンピックを記念するモノ
中央門からの入り口の上には、このような東京オリンピックを記念するモノがある(こういうのを何と呼ぶのか私は知らない)。このマークの両側には東京オリンピックの各種目の優勝者の名前が刻されている。マラソンのアジス・アベベの名前もある。
[大きな画像で見る]嘉納治五郎翁のレリーフが・・・・・
中央門に向かって右側のところに、このレリーフがある。ご存知“柔道の生みの親”――嘉納治五郎である。嘉納治五郎は、東京オリンピック招致の中心人物であった。
[大きな画像で見る]白川勝彦の日々のアルバム
2003年第43回衆議院総選挙や2004年十日町市々長選挙のデジカメ写真記録です。
国会TV 政治ホットライン出演記事
ちょっと動きが感じられるTVからのキャプチャ画像群で、番組を再現しています。
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