“謹賀新年”の返上 あちこちで、桜の開花が報じられる季節となりました。正月元旦以来いろいろなことがありましたが、長い間、ご愛読をいただいたこの「永田町徒然草」の更新をしませんでした。この間、何かあるのではないかと、多くの方々からアクセスいただいたこと、誠に申し訳なく思っております。また、感謝をいたしております。 私は生きておりますから、このようにいろんなことが起きている時、何かを思わないはずもありませんし、考えないはずもありません。でも、あえて沈黙をしてきました。私なりに深く考えてのことです。 多くの方々から「沈黙は金ではない」という叱咤をいただきました。でも、私はあえてこの際沈黙しようと決意し、お叱りを承知で永田町徒然草の更新をしなかったのです。ただ、月刊『財界展望』の“白川勝彦の「日本を斬る」”だけは、請われるままに書いてきました。先の選挙後、これも固辞したのですが、編集者に強く勧められたため、これも何かの因縁であろうと思い、あえて続けてきたのです。そして、この雑誌を手にされない方も多いのはないかと思い、Webマスターに頼んで掲載してもらうことにしたのです。 しかし、多くの方々から「いつまでも“謹賀新年”ではないだろ」とのメールをいただきました。確かにそうです。もう3月も半ばを過ぎました。いずれにしても、謹賀新年だけは何とかしなければならないと思っておりました。それにしても、この一ヶ月間余、政治的にあまりにも多くのことがありました。そんなとき、時候の挨拶的なものを書くこともできません。ついつい、前号の”謹賀新年”を更新する機会を失ってしまったのです。いつまでも正月気分でいたわけではありません。事情ご賢察の上、ご寛恕ください。 なぜ、ことさらに沈黙しているか──多くの方々が訝(いぶか)ることと思いますが、もう少しの間、私のわがままをお許しいただきたいと存じます。沈黙することは決して楽なことではありませんが、これも、いまの私には必要なことだと私は思っています。報道の伝えるところによれば、今日、加藤紘一代議士が自民党を離党するとのことです。加藤氏とは20年余の付き合いですから、いろいろな思いがあります。でも、このことについてもあえて「感無量なり」ということだけににさせていただきます。 「明けない夜はない」とか「冬来たりなば春遠からじ」ともいいます。きっとそうでしょう。でも「夜明け前がいちばん暗い」という言葉もあります。そんなことはどうでもいいのですが、私は、意味のある言葉を発したいのです。私はまだ政治評論家になったつもりはありません。私自身のスタンスをきちんとした上で、意味のある言葉を発したいのです。その時に備え、体だけは鍛えなければならないと、例の散歩に打ち込んでおります。近いうちに東京の事務所を引き払い、新潟県上越市に移すことにしました。このことについて、関東圏の方々にはお許しを賜わりたいと思います。 今日は、これにて失礼をさせていただきます。皆さまのご健闘を心からお祈り申し上げます。 00:30東京の寓居にて |
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