アメリカの同時多発テロに思う 昨夜、外出から帰ってテレビのスイッチを入れると、世にも恐ろしい出来事が起きていた。ハイジャックした旅客機で目標の建物に激突する。私は、かつての日本の神風特攻隊を連想した。神風特攻隊の場合は、考えたほどの被害をアメリカ軍に与えなかったというが、今回の自爆特攻隊はアメリカに、いや世界に衝撃的な被害を与えた。 明け方まで、私はテレビにくぎ付けになった。攻撃されたワールドトレードセンターは、昨年アメリカに行ったときその展望台に登った。またワールドトレードセンターが崩壊していく様は、白昼夢の中の出来事としか思われなかった。2~3回しかニューヨークにいったことのない私にこれだけの大きな衝撃を与えたこの惨事は、アメリカ人にとって計り知れない衝撃であったと思う。ワールドトレードセンターは、エンパイアステートビルとならぶ、ニューヨークのシンボルなのである。 また、世界の軍事の中枢であるペンタゴンが攻撃された。たぶん戦争の場合でも、この建物だけは最後まで攻撃されることはないであろう。ここは、アメリカにとって最後の砦なのである。こちらの方の人的・物的被害は、ワールドトレードセンターのように大きなものではないようだが、アメリカという国の自尊心に打撃を与えたと思われる。ペンタゴンも何度か訪れたことがある。世界を軍事的に制圧する威容を誇るこの建物が攻撃されたことは、軍の関係者に大きなショックは与えたであろう。 悪夢、戦りつ、世界震かん、「人間のやることか」──『読売新聞』。暴挙、悪夢、無残、大惨事──『朝日新聞』。これが今日の新聞の今回のことに対する形容である。喜怒哀楽についての語彙(ごい)の多いアメリカではどのように表現されているのであろうか。新しい世紀が始まったばかりだというのに、こういうことが起きるのは今回で最後にしてほしい。そういう意味を込めて、私は「世紀末的悲劇」と形容したい。21世紀がこんなことが繰り返される世紀であって欲しくない。 今回のテロ攻撃は、相当の組織をもった集団の犯行であることは疑いを得ない。そして、その集団にはおそらく宗教的なものがあるであろう。宗教的なものがない集団にこれだけの犯行ができるはずがないと私は信ずるからである。組織的な謀略など、普通の組織では、そう簡単にできはしない。長い間、自民党という政治組織で戦ってきて、また他陣営を見てきたものとして言えば、組織的な謀略は、口でいうほど簡単なものではないのである。 かつては、共産主義という、個人を超えて組織に対してロイヤリティを誓う政治的イデオロギーがあった。しかし、世界全体の自由化の流れの中で、共産主義的な組織も、そう簡単に組織的謀略を行うことは困難になったものと思われる。もちろん警戒は怠れないが、そのような傾向は否めないと私は思っている。そうした中で、共産主義よりも伝統が長く、またその集団の形成のあり方からいって、組織に対するロイヤリティから組織的謀略を行うことができるのが、カルトと呼ばれる宗教的色彩を帯びた団体なのである。 フランスにおいては、カルトという存在は、もはや「宗教」ではなく、「宗教の仮面を被った全体主義」という認識をしている。そして、カルト問題は、すぐれて世俗の、そして政治の問題であるとされているのである。私はこの考え方は、正しいと思う。今回も当事者がどう思っているかは別にして、その実態はカルトと規定される集団の犯行と思われる。事態の推移を見守りたい。 それにしても、フランスではカルトと認定されている創価学会に事実上支配される公明党が、政権の中枢に入っているにもかかわらず、この問題を真剣に考えようとしない日本という国で、何が起こるか注意を喚起しておきたい。わが国でいま、政治的謀略を行える集団があるとしたら、創価学会・公明党がその筆頭であることだけは認識しておく必要がある。私が政教分離問題にこだわるのは、こうした理由からでもある。 12:00東京・砂防会館の事務所にて |
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