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FORUM21 2008年7月1日 通巻150号
特集 混沌とする自公政権の半年
特別な“ねじれ"を、一刻も早く解消せよ!
白川 勝彦 (元衆議院議員・弁護士)
“ねじれ"のどこが問題なのか。
わが国の政治のどこが問題なのかと問われると、多くの政治評論家は“ねじれ"国会だという。しかし、ねじれ国会は、本当に問題なのだろうか。自公“合体"政権の側に立つ人にとっては、ねじれ国会は困ったことなのであろう。
だがその立場に立たない人にとって、ねじれ国会など大した問題ではない。多くの国民もそう思っているのではないか。その証拠に多くの世論調査で、「次の総選挙で野党が伸びて欲しい」という回答が多い。比例区での投票は民主党を中心にする野党と答える人が自民党や公明党と答える人を上回っている。
国民の政治的意思は、国会の意思として表される。国会の意思とは、衆議院と参議院の意思のことである。通常“ねじれ"国会とは、衆議院と参議院の多数派が異なっていることをいう言葉である。多数派が異なれば衆議院と参議院の意思が異なるのは当然である。そんなことはこれまでもあったし、これからも度々おこるであろう。選挙制度が異なるのだし、選挙に時期が異なるのだから起こり得ることである。
具体的事例にみる民意と再可決の乖離
昨年の参議院選挙以後、どのような事例が具体的に問題になったのだろうか。最初に“ねじれ"は、新テロ特措法案を巡って起こった。参議院は、自公“合体"政権が衆議院で可決した同法案を否決した。当時の世論調査では、新テロ特措法案に反対との意見が国民の3分の2近くあった。ところが自公“合体"政権は憲法59条2項により再可決した。新テロ特措法は成立し、いったん撤退していた自衛隊は再びインド洋に派遣された。
次に問題になったのは、日銀総裁人事に対する同意案件であった。自公“合体"政権は財務省出身の武藤総裁、これが不同意になると田波氏に拘ったが、野党はいずれも不同意とした。人事案件には憲法59条2項の再可決の規定が適用されない。自公“合体"政権が日銀出身の白川総裁で止むを得ないとしたので、ようやく決着した。
記憶に新しいところでは、いうまでもなくガソリン税の暫定税率を含む租税特別措置法改正案であった。道路特定財源の暫定税率の多くは、2008年3月31日で期限切れになり本則税率に戻った。国民はガソリン税などの暫定税率の復活に3分の2近くが反対した。しかし、自公“合体"政権は衆議院で再可決し、即日公布施行して暫定税率を復活した。
権力の正統性を裏付けるのは、事実である。
民主政治においていちばん重要なことは、国家意思の決定が国民の意思と乖離していないことである。世論調査などという手法がなかった時代は、国会の意思を国民の意思とすることにあまり抵抗がなかった。しかし、世論調査の技術が進歩して、国民の意思が世論調査によって正しく捉えられるようになった。
先ほど挙げた事例においては、新テロ特措法案も道路特定財源の暫定税率の復活も国民の大多数の意思と明らかに食い違うものであった。食い違うなんてもんじゃない。国民の意思と明らかに異なる決定を自公“合体"政権は再可決によって行ったのだ。これを正当化するいかなる理屈も虚しい。これを正当化する唯一の途は、自公“合体"政権が衆議院を解散し再び再可決に必要な議席を確保することである。権力が己の正統性を国民に示す途は、理屈でなく事実しかないのである。
現在の国会のねじれ現象を否定的に捉え、自公“合体"政権の再可決による問題の解決を非難しない政治家や政治評論家は、この根本が分かっていないのだ。権力の正統性を事実ではなく屁理屈"によって正当化しようという輩なのだ。
手続の煩雑さは、“ねじれ"ではない。
現在のねじれ現象を問題にする人は、もうひとつ重要な点を故意に見逃している。国民の間で意見の分かれる大きな問題を自公“合体"政権は最終的に再可決によって決着を付けた。自公“合体"政権にとって権力と国会の意思は乖離していないのである。衆議院と参議院の意思が異なることなど、手続的に煩雑なだけのことに過ぎないのだ。最後は再可決の手続によって権力行使に必要なことを自公“合体"政権の意思で実現できるのだ。
自公“合体"政権にとって、権力と国会など少しもねじれていないのだ。ただ手続が少しだけ煩雑なことである。そもそも民主政治とは、権力に対する不信感から権力行使を不都合にする手続である。手続が煩雑なことを憂える政党や政治家などは、民主政治の本質を理解していない輩なのである。
民主主義体制における国会意思の形成が煩雑なことなど当り前のことなのだ。その証拠に独裁国家における国会意思の決定は、単純であり迅速である。重要なのは最後の決定権がどこにあるかという点だ。自公“合体"政権が衆議院で3分の2を超える議席をもっている現状では、最後の決定権を自公“合体"政権がもっている。そのことを私たちは片時も忘れてはならない。
「興一利不若除一害」── 耶律楚材の言
政治をみるとき、私たちは具体的状況を具体的に分析しなくてはならない。現在わが国の現状は、衆議院と参議院の多数派が異なることは事実である。しかし、冒頭に触れたようにそんなことはこれまでもあったし、これからもあるであろう。
次の総選挙で野党が過半数を確保することは既定の事実ではないと私は思っている。解散総選挙後も衆議院と参議院の多数派が異なることは十分あり得ると考えている。そのとき多くの論者は、また“ねじれ国会"といって国士風に憂えるのだろう。
国家が重要なことを大根を切るように次々と簡単に決めることは、果たしてそんなに良いことなのだろうか。いま騒がれている後期高齢者医療制度は、自公“合体"政権が衆参両院で圧倒的多数をもっていた時に強行採決によって決められた。ねじれ現象を憂える論者は、大事なことが決められないことを嘆いている。
「興一利不若除一害(一利を興すは、一害を除くに若かず)」だ。中国の名宰相 ── 耶律楚材の言である。私は現在においても政治の要諦だと思っている。特に自由主義の政治においては重要な要諦であると考える。自公“合体"政権が良かれといって行ったことなど、その大半は“害"以外の何物でもなかったではないか。
自公“合体"政権の意図
同じ“ねじれ"でも、自公“合体"政権が衆議院の3分の2を超える化け物のような議席をもっている現状は特別なのである。政治的には“特別なねじれ"なのである。だから私は注意を喚起する意味で、できるだけ“化け物のような議席"と表現するようにしているのだ。
衆議院の任期満了までまだ1年余ある。自公“合体"政権は、衆議院で化け物のような議席をもっている間に重要なことをすべて決めておこうと決断したのではないか。私はそうみている。福田首相の頼りない優柔不断なビヘイビアをみていると誰もが愚図でダメ首相と感ずるであろう。だがそうではないのだ。薄笑いを浮かべてエヘラエヘラしながら、重要なことをすべて決めておこうとしているのだ。そのカモフラージュなのだ。騙されてはならない。
いまわが国の権力を握っている勢力は、わが国の国会が本当に“ねじれ"ていない間に重要なことを決めておくことを狙っているのだ。実に危険極まりないことだ。そのど真ん中に創価学会・公明党がドッカリと居座っている。
野党は問責決議などで茶を濁している場合ではない。野党は自公“合体"政権を追い込み、“特別で危険極まりない"ねじれ国会を解散させ、一刻も早く解消する使命と責任があるのだ!