プロフィル
ごく一般的な私の履歴
- 1945年6月22日新潟県十日町市で絹織物業をしていた家庭の9人兄姉の末っ子として生まれる。
- 地元の小中高の学校を卒業し、1963年東京大学文科1類に合格。1968年東京大学法学部を卒業。1971年司法修習を終え、弁護士となる。
- 1975年30歳になった時、政治家をめざし衆議院選挙に立候補することを決意し、郷里の新潟4区(当時・現在の新潟6区)で政治活動を始める。最初の選挙では敗れたが、1979年の総選挙で大平首相の応援を得て34歳で初当選(以後6回当選)。宏池会に所属し、大平首相・鈴木首相・宮澤首相の薫陶を直接受ける。加藤紘一代議士は、私の文字通りの兄貴分。
- 国土政務次官・郵政政務次官・商工委員長などを務めた後、1996年11月自治大臣・国家公安委員長に就任。自民党では、総務局長・団体総局長・新潟県連会長などを務める。
- 2001年2月公明党との連立が固定化していくこと、また加藤の乱で党内リベラル派が殲滅されたことで自民党を見切りをつけて離党し、公明党の政権参加を批判する新党・自由と希望を設立し2001年7月の参議院選挙の比例区に出馬するも敗北。
- 現在いずれの党にも所属せず、自由な立場からこのWebサイトで政治的メッセージを発信しているものである。戦うリベラリストでありたいと思っている。政治家である矜持は捨てていないが、あえてバッチを求めるつもりはない。
写真入プロフィール [旧HOMEコンテンツ]
私が歩んできた道
私の政治的信念や経歴に興味のある方は、拙著『自民党を倒せば日本は良くなる』第5章「人間から出発する政治—─私が歩んできた道」 [旧Webサイトコンテンツ]をご覧下さい。
私の最近の選挙の記録
私の半生は、選挙選挙の日々でした。衆議院議員に6回当選しましたのでそれなりに赫々たることもあるのですが、インターネットで紹介できるのは苦しい選挙の記録しかありません。でもきびしい結果であったも、私は信念と使命感をもって戦いました。悔いはありません。私の生きざまをご理解いただくために、あえて掲載し続けます。
- 2005年5月 十日町市長選挙 [旧HOMEコンテンツ]
- 2003年11月 衆議院選挙(新潟5区) [旧HOMEコンテンツ]
- 第43回衆議院総選挙における私の戦い(その1) 政治的には、勝利した
- 第43回衆議院総選挙における私の戦い(その2) 私たちの陣営は、武装解除しない
選挙は、都道府県単位の団体戦 - 第43回衆議院総選挙における私の戦い(その3) 国民は民主党を政権党として選択した
政権交代は、やはり、ひとつの革命である - 民主党公認問題
- 祈念 菅総理誕生。2003年10月28日 付・白川勝彦選対本部緊急役員会の模様
- 腹はたててもイライラするな!2003年10月27日
- トラウマにとり憑かれたような…!?2003年10月26日
- 教えてください、菅総理2003年10月24日 ─ 付・手紙を出した直後の記者会見での内容 ─
- 革命とは、難儀なものぜよ2003年10月23日
- 選挙の七つ(?)道具、できる!2003年10月26日
- 必勝 白川勝彦 長岡地区決起大会(完全書起こし)2003年10月25日
- 政権交代は、やはり、ひとつの革命である。2003年10月10日
- 街頭演説書き起こし於・2003年10月5日 ジャスコ長岡店前
- 来るべき総選挙の意義と展望2003年10月5日(白川文庫・論文で掲載/左の題字からもリンク)
- 衆議院解散にあたっての決意(10月10日13時30分 事務所での会見にて)
- 衆議院議員選挙新潟5区出馬表明 [全文掲載]
- 2001年8月 参議院選挙(比例区) [旧HOMEコンテンツ]
- 2000年6月 衆議院選挙(新潟6区) [旧HOMEコンテンツ]