エピローグ 2001年2月4日『読売新聞』に私の決起が報道されたその日から、この戦いをやるために本は出さなければならないと考えてきました。比例区という一億人の有権者がいる大きな選挙ですから、いくら全国を飛び回ってみても、とてもすべての人に会うことなどできません。また日本で初めてのインターネット政党をめざすにしても、インターネットの加入者はまだ全有権者の20%強でしかないのです。インターネット以外で私の考え方を知っていただくためには、本を出版するしかありません。ですから、本を出すことは決まっていたのですが、離党そして新党立ち上げという超ハードスケジュールのなかで、原稿を書く時間が果たしてとれるだろうかという不安はありました。 これまでに5冊の著書を出版していますから、時間さえあれば原稿を書く自信はありました。出版社も決まり、かねて構想していたプロットに従って、実際に私が原稿を書きだしたのは3月10日からでした。これまで私のWebサイトにかなりの分量の論を書いておりましたので、これをまとめればある程度の本にはなると高をくくっていました。しかし、実際に書き始めると、それらはほとんど役に立たないことに気がつきました。自民党を離党すること、新党を立ち上げ参議院選挙に臨むことは、かなり前から決めてはいました。その腹が決まっていなければ書けないことも相当書いてきたことは事実ですが、残念ながらそれはそのまま使えないことに気がつきました。予定は予定にして決定に非ず、と私たちはよく言いますが本当にそのとおりでした。実際に自民党を離党し新党立ち上げの構想を発表するや、全国から想像していたよりもはるかに大きなかつ熱烈な激励をいただくと、私のものの見方が大きく違ってきました。 人間、自分のことが一番見えないと言います。まさにそのとおりでした。これまで自民党というものをかなり対象化し、客観的に見てきたつもりですが、やはり自民党という党のなかにいて見るのと、外にでて見るのとでは質的に違うということに気がつきました。こうなったら、全部新しく書き下ろそうと腹を決めました。ようやく態勢が整いだした事務局を信頼して任すところは任せ、時間の取れるときは原稿を書くことを最優先にしました。そして、今日最終稿を書き上げました。ちょうどそのとき千葉県知事に、自社さきがけ政権を一緒になってつくった、堂本暁子前参議院議員が当選したというニュースが流れました。わずか1カ月の活動でかつ36.88%という低い投票率であるにもかかわらず、自民党候補・民主党候補をおさえて当選したことは、私がこの1年近く考えてきたことを証明するに十分なものでした。また、この本で述べてきたことを証拠づけるものでもあります。 時代は大きく流れています。そして、この流れは、誰も止めることはできません。そして、リベラル市民が立ち上がって行動することこそ、昭和20年革命の正しい延長線上にある、21世紀の希望なのです。私は、堂本さんが立候補の声明をして間もない2月下旬、ある会合で同席しお話をしたとき、堂本さんがこう言われたことに強い印象をもちました。
いまほど女性の社会参加ということに理解が多くないなかで、懸命に生きてこられた堂本さんならではの自負であり、意地だったのだと思います。堂本さんを支えた人たちも同じような自負と意地をもって、戦ったのだと思います。なかには生まれて初めて選挙運動などというものに携わった人も多くいたと思います。それでいいんです。これがいま起こっている静かなる革命なのです。 私はいま平成革命を提唱し、その先頭に立って戦っています。もちろん、ないない尽くしの陣立てです。こんな陣容で本当に大自民党と創価学会・公明党を敵にまわして戦って、勝算はあるのかと訝(いぶか)る人も多いでしょう。しかし、勝機はあると確信しています。だから、私は本気で戦っているのです。革命的情勢のなかでは、信じられないことが起きるのです。 明治維新の志士たちのなかで、私は高杉晋作と坂本竜馬が好きで、竜馬ものはけっこう読みました。これとならんで、吉田松陰と高杉晋作の次のエピソードは鮮烈で、ずっと私の心のなかに生き続けているものです。 高杉晋作は、エネルギーを持て余す乱暴者でした。もちろん、藩校きっての秀才でもありましたが、酒を飲んでは暴れ、塾生の勉強の邪魔をすることもままあったようです。これに塾生たちが一致して抗議し、松陰先生に嘆願書を提出しました。「高杉の乱暴で一同は大変に迷惑しています。先生からきつく叱っていただきたい。それでも、高杉の行いが改まらなかったら塾から追放していただきたい」。 嘆願書にはほとんどの塾生が署名し、筆頭に桂小五郎の名があったといいます。松陰は一同を集めてこう言ったそうです。「諸君が間違っている」。松下村塾の秀才たちにも意外な言葉だったでしょう。松陰は諭すようにこうつづけました。
塾生一同より私は晋作を採る、というこの迫力。この差別と不平等。松陰はこう言いたかったのでしょう。
高杉が師の知己の恩を痛感し、生命がけの行動に出たのは、その後の歴史が証明するとおりです。 いま私の元に、全国からこの日本を変えたいという、多くの青年たちが集まっています。この人たちこそ、平成の高杉晋作であり、平成の坂本竜馬だと私は思っています。この人たちの力を集めれば、平成革命は必ず成就すると確信しています。この本を手にした読者のなかから、また新しい平成の晋作や竜馬が必ず現れてきてくださると信じています。 この本は、自民党への訣別の書ではありません。自民党に対する果たし状です。私が23年の自民党改革の戦いのなかで、体で会得した自民党のすべてを容赦なく暴くものです。この党は犯してはならない政治的背信をしたのですから、私には何のためらいも呵責(かしゃく)もありません。因果応報というものです。 堂本さんの場合は、最後までかなり競り合いました。自民党推薦の候補がかなりしぶとく粘りました。しかし、21世紀になって初めて行われる2001年夏の参議院選挙では、完膚なきまでに自民党──自公保体制を叩きつぶし、キッパリと引導を渡す結果を鮮やかにださなければなりません。そのためにこの本を出版しました。 この本が、その一助になればこれに過ぎる喜びはありません。 また、無理な日程での出版を可能にするために多くのスタッフの方々にご協力いただきました。ここに深く謝意を表します。 2001年3月26日未明 自民党を倒せば日本は良くなる |
白川勝彦OFFICE
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