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巨星墜つ。

13年01月20日

No.1550

1月4日の仕事始めから、私は少し、張り切り過ぎたようだ。先週あたりから、少し疲れ気味だった。この土日は、何処にも出ないでゆっくりと、自宅で過ごした。もっとも、土曜日はいつもの通り、白川勝彦法律事務所で仕事をした。これは、私にとって当たり前で、仕事を終えるとそのまま自宅に帰った、ということだ。当然ながら、まず、大相撲を中継で観る。そこで、元横綱大鵬の逝去を知った。私は、深い悲しみに襲われた。

私が小さかった頃の横綱は、千代の山・鏡里・吉葉山であった。鏡里と吉葉山は、郷里十日町市の相撲巡業で見たことがある。その後、栃若時代が来た。まだ十日町市ではテレビ中継が見られず、映画館の相撲ニュースで見た記憶がある。十日町市でテレビ中継が見られるようになってからの横綱といえば、大鵬であった。テレビの影響力というのは、凄いものであった。テレビで見たことというのは、現場で実際に見たような経験として、人々の記憶の中に残る。私にとって、もっとも身近な横綱は、大鵬から始まる。また、最強の横綱でもあった。

大学時代から弁護士に生り立てまでの頃は、あまりテレビで相撲を見ることはなかったが、盛り上がった場所は、寮や自宅のテレビで見ていたと思う。衆議院選挙に出馬するために郷里に帰った頃から、私の楽しみは大相撲となった。昭和54年、衆議院議員に当選した後も、私は、大相撲の中継は真面目(?)に見た。しかし、テレビ観戦だけで、国技館で見たことはなかった。実際に国技館で大相撲観戦をするようになったのは、数年前からだ。それも、一回であるが…。

私はこの程度の大相撲ファンだが、横綱大鵬の存在は大きかった。大鵬が第43代、日馬富士が第70代の横綱であるから、27人もの横綱が誕生した訳だが、私はいつも、大鵬と比較して見る。大鵬は、多くの大相撲ファンにとって、そのような存在なのではないか。多くの相撲ファンに身近な横綱として存在し、横綱の模範を示した巨星が、墜ちた。私より、わずか5歳上でしかない。心から、ご冥福をお祈りする。

合掌。

  • 13年01月20日 11時16分PM 掲載
  • 分類: 分類外

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