明治憲法と思想の自由
07年01月13日
No.304
今日的な言葉でいえば基本的人権に属するものが明治憲法(正式には大日本帝国憲法という)で「臣民の権利」として規定されている。日本国憲法19条には「思想および良心の自由は、これを侵してはならない」という規定がある。私たちにとってきわめて当たり前の規定である。しかし明治憲法には同様またはこれに類する規定がない。
明治憲法第2章の臣民の権利として規定されているものを列挙する。
- 1. 均しく文武官に任ぜられおよび他の公務に就くことを得(第19条)
- 2. 居住および移転の自由を有す(第22条)
- 3. 法律に依るに非ずして逮捕監禁審問処罰を受くることなし(第23条)
- 4. 裁判官の裁判を受くるの権を奪わるることなし(第24条)
- 5. その許諾なくして住所に侵入せられおよび捜索せらるることなし(第25条)
- 6. 信書の秘密を侵さるることなし(第26条)
- 7. 所有権を侵さるることなし(第27条)
- 8. 信教の自由を有す(第28条)
- 9. 言論著作印行集会および結社の自由を有す(第29条)
- 10. 請願をなすことを得(第30条)
明治憲法が保障した臣民の権利には所有権の不可侵を除き残念ながらすべて「法律の範囲内」とか「安寧秩序を妨げずおよび臣民たるの義務に背かざる限りにおいて」(信教の自由に付されていた条件)などという条件が付けられていた。また「本章(臣民の権利)に掲げたる条規は戦時または国家事変の場合において天皇大権の施行を妨ぐることなし」とされていた。
基本的人権とはいかなる場合においても保障されるから基本的というのである。普段はいいが大事な時はダメだよ、では基本的人権にはならないのである。大事なときこそ国家と国民の利害が激しく衝突するからである。臣民の権利は法律の範囲内でしか認められていなかったことにそもそもの根本的問題がある。しかも明治憲法では立法の大権は天皇にあり、法律を作るのは天皇で帝国議会はその協賛機関に過ぎなかった(第5条)。
明治憲法が保障した臣民の権利は、このように極めて不十分なもので今日的意味における基本的人権ということはできないと思う。しかし、憲法ではじめて国民に権利が付与された意味は大きい。わが国の先駆者たちはこれを足がかりに自由と平等と経済の福利を政府に対して求めていった。わが国における「権利のための闘争」(イェーリング)である。しかしもっとも根源的な自由権とされる思想の自由はその規定すらないのである。天皇主権を否定したり、これを批判する思想は最初から徹底的に弾圧された。1925(大正14)年普通選挙権の付与(といっても25歳以上の男子だけであった)と引きかえに緊急勅令で制定された悪名高い治安維持法は、まさに思想そのものを処罰する法律といってもよかった。
治安維持法第1条には
- 1. 国体を変革しまたは私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し、または情を知りてこれに加入したる者は10年以下の懲役または禁錮に処す。
- 2. 前項の未遂罪はこれを罰す。
とある。
「国体を変革することを目的として結社を組織し、または情を知りてこれに加入した者」などという構成要件(しかもその未遂罪も罰せられる)では、政府に都合の悪い奴はすべてとっ捕まえることができるという法律である。
昭和16年には、「国体を変革することを目的として結社を組織したる者または結社の役員その他指導者たる任務に従事したる者」は最高刑死刑で罰することができると改正された。またそのとき治安維持法違反により刑を受け非転向のまま刑期を満了して出獄した者の再犯を防止するために、その者を拘禁し続けることができる予防拘禁制度もあわせて設けられた。こうなったら都合の悪い奴はいつまででも拘束できる。政府は事実そうした。
この治安維持法の摘発に当ったのが特高警察であった。特高とは特別高等警察の略称で政府に批判的な者から蛇蝎(だかつ――広辞苑:へびとさそり。人が恐れきらうもののたとえ)のように恐れられた。特高のもっとも酷いところは、裁判など関係なく拷問を加え自ら刑を執行したことである。『蟹(かに)工船』などの名作を残した作家の小林多喜二は、1933(昭和8)年2月20日、スパイの手引きで街頭において治安維持法違反容疑で逮捕され東京・築地警察署に留置されるが、転向を拒否したため特高警察の拷問でその日のうちに虐殺された。29歳と4ヶ月という短い生涯であった。
私が職務質問にこだわるのは、テロ対策・治安維持という名目で片っ端から職務質問する現在の警察に往年の特高警察の影を感じるからである。杞憂というなかれ。警察国家となったときには、国民はもう何もできないのだ。それが戦前の教訓である。国家公安委員長という職を務めたが故にこれだけはどうしても許すことができないのだ。国家公安委員長をやったことを鼻にかけて白川は威張っているのではないかと誤解している人もいるようだが、とんでもない。国家公安委員会は警察の暴走を監理するために設置されたすぐれた制度なのである。
私は警察機構が暴走したときの怖さを知っているが故に警鐘をならしているのだ。私のサイトにある「忍び寄る警察国家の影」には毎日数多くのアクセスがある。Googleで職務質問を検索するとWikipediaの次に「忍び寄る警察国家の影」がある。違法または不当な職務質問を受け、その不愉快な思いが腹に据えかねてインターネットで調べる若い人がきっと多いのだろう。こんなことをしていて警察に対する国民の信頼が生まれる筈がない。国民に信頼されない警察は、結局は無力なのである。警察にとっていちばん必要な情報は国民がもっているからである。国家公安委員長のとき、私は警察に対してこのことを口が酸っぱくなるほどいった。いまでもこれは正しいと思っている。今日は少し長く堅苦しい話となった。どうかご寛恕を。
それでは、また。