マスコミが橋下と安倍に拘る理由
15年06月18日
No. 1754
安倍首相と橋下徹大阪市長が会談(怪談?)したことのバカらしさについては、前号の永田町徒然草No.1753「不可解で頓珍漢な安倍の動き」で書いた。政治的には、全く意味のないクダラナイものである。それなのに、マスコミはこれを“しつっこく”後追いしている。その理由を述べよう。そうすると、わが国のマスコミの酷さ加減が浮かび上がってくる。
私は弁護士だが、橋下徹なる弁護士のことは、殆ど知らない。“行列のできる法律事務所”なる番組で随分と評判だったようだが、だいいち私は、この種の番組を見たことがない。大阪府知事選挙で出馬が取り沙汰された時、「2万パーセント出ない」と言っていたのに、出馬し当選したことが当時話題となった ─ そのくらいの記憶しかない。この頃から、マスコミは必要以上に登場させていた。
橋下徹氏が国政上の人物としてその役割を演じ始めたのは、平成24年の総選挙からであった。橋下氏は石原慎太郎氏と“日本維新の会”なるものを立ち上げ、その共同代表として、国政について語り始めた。しかし、肩書は日本維新の会の共同代表であると同時に、大阪府知事であった。マスコミは、異常にテレビ等に出演させた。その狙いは、“新しい第三極”を語らせることであった。
石原慎太郎氏はあまりにも古色蒼然としており、これでは獲得できない第三極票を、橋下徹氏を使って集中させたのである。マスコミのこの意図は見事に成功し、日本維新の会は、第三極としては十分過ぎるほどの議席を獲得した。民主党も、「国民の生活が第一」(選挙直前に未来の党を名乗る)ではズタズタにされてしまった。その選挙における露出度から言って、国政選挙の経験のある者ならば、明らかであった。
慰安婦問題について橋下氏が不適切な発言をしたために、付き合いきれないとマスコミが思った時期もあったが、マスコミの橋下氏に対する厚遇は、これまた異常であった。それは、「“橋下徹”という政治的キャラクターは、自分たちマスコミがメディアを使って作り上げた」という自惚れがあったからなのであろう。
専門家である私に言わせてもらえば、橋下徹なる政治キャラには何の魅力もないし、現在の政治状況では、有害な政治家以外の何モノでもない。俗な言葉でいえば、“鬼っ子”的存在である。出来の悪い子供ほどかわいい、という。普通の親子関係ならばそれで良いのだが、政治の世界で働くマスコミでは、これは無しにして貰いたい。
話を敷衍すると、安倍首相も、マスコミが異常に持ち上げ過ぎて生まれた“鬼っ子”なのである。こちらの方は、曲がりなりにも首相であるし、潤沢な官房機密費でご馳走をしてくれる。社の幹部から強い推奨もあるので、記者は、“遠慮なく”記事を書き番組を作れるのである。これが、わが国のマスコミの悲しい現状である。マスコミ人よ、少しは気骨を持て。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。