事の本質は…!?
09年05月12日
No.1162
政界は“1寸は闇”である。昨日の午前3時ころ永田町徒然草を書いていたとき、私は小沢民主党代表が昨日辞任することなど考えていなかった。それがいま次の民主党代表は誰になるか、マスコミはいろいろな人の名前を取り沙汰している。昨日の午前3時16分に永田町徒然草をupdateしたのは、昨日も朝から忙しかったからである。午前から予定がびっしり詰まっていた。
小沢代表の辞任という選択肢は、公設第一秘書逮捕の直後からいつでもあり得ると思っていた。総選挙を直前に控えている中で、党首が刑事事件を抱えていることは大きなネックだ。辞任を考える方が普通である。選挙上手といわれている小沢氏が、そんなことが分からない筈はない。しかし、小沢事件の本質をいちばん見抜いていたのは、小沢氏本人だったのだ。私は「小沢事件の本質は、検察を使って政敵を抹殺する卑劣な行為」と捉え、小沢氏や民主党はこれと闘わなければならないと訴えてきた。この矛盾するテーマをどう克服するが“小沢問題の本質”であった。
小沢事件を仕掛けたのは自公“合体”政権であった。自公“合体”体制は、ここぞとばかりに総力を挙げて攻撃してきた。私は「自公“合体”政権」と命名して以来、「自公“合体”政権の特質のひとつは、これまでのどの政権よりもマスコミを掌握していることである」と警鐘を鳴らしてきた。小沢事件では自公“合体”政権のこの特質が露骨に現われた。マスコミを上手く使えば政権交代ができると考えてきた人々は、その認識の甘さを痛感したであろう。
マスコミは世論調査に名を借りて、なおも小沢辞任を煽り立ててきた。マスコミの執拗な攻撃に耐えかねて、一部の民主党議員は音をあげ始めた。政権交代を大義名分とすれば、どうしても選挙をクリアしなければならない。選挙を意識すれば、公設第一秘書の起訴ということはネックとなる。そんなことは当たり前のことだ。政権交代を唯一の大義名分とすると、大いなる矛盾を抱え込んでしまうのである。
私も政権交代を強く望む者であるが、自公“合体”政権を打倒しての政権交代でなければ意味がないと思っている。だから私は“大連立構想”には与しなかった。自公“合体”政権と徹底的に戦うことを重要視している。検察を使って政敵を抹殺する卑劣な行為を平気で行う自公“合体”政権とは正面から闘っていかなければならない。民主党は警察や検察や公権力を使って国民を弾圧しない。すなわち民主党は国民を泣かせる警察や検察や公官署の横暴を許さないことをマニフェストとして高らかに掲げることなのである。
「小沢代表のマイナス・イメージは、事の本質を正しく捉えるならば十分に克服できるだけではなく、民主党の支持拡大に転化することができるのだ。ピンチはチャンスでもあるのだ。残念ながらそのことに成功していないが、それも民主党の資質の問題であり、実力でもある。まだ間に合う。戦略と戦術を大胆に見直す必要がある」と昨日の永田町徒然草に書いた。小沢代表の辞任表明によりすでに手遅れかもしれないが、事の本質は同じである。少なくともどの顔が選挙に強いかだけで新しい代表を選出してはならないと考えている。
それでは、また。