虚しい論争...
10年02月08日
No.1410
昨日の日曜日、私は思う存分に体を休めた。先週は明らかにオーバーワークだった。若い頃には、どんなにオーバーワークでも、仕事が済むと大好きな麻雀に興じたものである。しかし、いまはとてもそういう気にはなれない。良い子になって、家に帰るのだ。白川勝彦も歳をとったものだ…(苦笑)。
そうはいっても、日曜定番の政治番組は見た。どの番組も元検事が出て、小沢民主党幹事長の不起訴問題を論じていた。刑事事件としての小沢問題は、弁護を担当している弁護士が論じれば良い。事実関係を掌握している担当弁護士しか、正しく論じることはできない筈である。検察の世論操作や情報漏洩が問題になっていた。これからの政治家の刑事事件の弁護を担当する弁護士は、広報も担当しなければならないのかもしれない。それはそれとして、行ったらよいのではなかろうか。
検察が法廷外でやるのなら、弁護士も法廷外の闘いをやらざるを得ない。しかし、昨年の事件でも、今回の事件でも、小沢氏側の弁護士はそのような活動を行っていない。そんなことは、刑事訴訟法に少しも違反することでないから、堂々とやれば良いだけのことだ。被疑者や被告人と接触することができない法律家が「ああだ、こうだ」と言ってみても、すこぶる虚しい。
いずれにせよ、民主党は今回の事件を乗り越えて進まなければならない。どう乗り越えるかは、民主党自身が決めることだ。検察のやり方をいくら非難してみたところで、たぶん問題の解決にならないであろう。小沢氏の主張通りだとしても、小沢氏の政治資金の使い方が問題なのだ。多くの国民は、そのことを是認していないのである。政治資金規正法の目的は、政治家の政治資金の使い方を明らかにし、その是非を国民が判断する材料を与えるところにある。土地購入の資金が小沢氏個人のおカネか、それとも“やましいカネか”など、関係ないのである。
小沢氏の主張通りだとしても、陸山会の資金で問題の土地を購入したと言っている。が、そのことの是非は政治資金規正法の目的ではない。その是非は、検察が判断するのでも、政治家が判断するのでもない。国民が判断するのである。
どの場において? それは、最終的に“選挙において”である。小沢氏個人は、今回の問題があろうがなかろうが、自らの選挙で落選することはなかろう。だから、強気なのだろう。
しかし、小沢氏および民主党の身の処し方は、今年夏に行われる参議院選挙に大きく影響するであろう。民主党の選挙の最高責任者と自他ともに認める小沢氏がそのことを判断できないとすれば、小沢氏を“選挙のプロ”などと到底いうことができない。
今回の事件を、“検察VS小沢”と捉える人もいる。しかし、検察も小沢氏も、この問題の最終的な判断者である国民のことが分かっていないようである。その答えは、昨年の小沢事件を振り返れば、自ずと分かる筈なのだが…。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。