因縁めいた311
11年04月12日
No.1481
昨晩の日付が変わる頃、白川勝彦Webサイトのアクセスカウンターが311万を超えた。昨年の春頃から、永田町徒然草の更新が極めて少なくなった。白川サイトの目玉である永田町徒然草の更新が少なくなれば、アクセス数が少なくなるのは当然である。それは仕方ないことだと、私は思っていた。私がいくら善意で忠告しても、民主党の政治家というのは、人の言葉に耳を傾けるつもりはないのである。民主党政権の誕生にいささか協力してきたからと言って、私は、恩着せがましく彼らに接触しようと思わなかった。
私は、意味のない繰り言を自己顕示のために書くほど暇ではない。だから、永田町徒然草を更新する意欲が減退していったのだ。Twitter で最低限、いいたいことだけは呟いたが、それは、長年の読者に対する永田町徒然草の代替としてであった。それが不十分なことは、重々承知していた。私が久しぶりに永田町徒然草を書きたいと思ったのは、東日本大震災が発生してからである。菅内閣の大震災対策があまりにもお粗末だったからであり、私自身も大震災と無関係ではいられなくなったからである。
菅内閣の大震災対策がお粗末なことは、多くのメディアもネット世論も指摘していることである。それを、私がさらに指摘する必要もないだろう。だから私は、自分の身近なところで皆が気を付け、実行できることを中心に書くことにした。それが、計画停電であった。最近では多くの人々が同様の趣旨のことを発言しているが、あの混乱の中でその口火を切るのは、意外に勇気のいることだった。しかし、Webサイトでできることは、そのようなことではないのか。私はWebサイトをかなり利用してきた一人であるが、Webサイトの限界を知っている一人でもある。だが、少しでも可能性があるならば挑戦するのが、政治家の生き方だ。
昨日で、東日本大震災の発生からちょうど1ヶ月が経った。各報道番組では、キャスターたちを現地に送り込んで特集を企画していたが、それを嘲笑うように、昨日の夕方また大きな余震があった。そのとき私は自宅に帰って、テレビを見ていた。3月11日以来、私が東京で感じた最大の揺れであった。そんな中で、白川サイトのアクセスカウンターが311万を超えたことに、私は、因縁めいたものを感じざるを得ない。
大震災はまだまだ終わっていないのだ。現に1万人以上の行方不明者の安否が確認されていないし、その捜索活動も全地域では済んでいない。どの位の地域で捜索活動が終わったのか、その全体像も一向に知らされていないのだ。自衛隊とアメリカ軍は、懸命に捜索活動を展開している。その総司令官は、菅内閣総理大臣の筈だ。
福島第一原発では、放射線の危険の中で必死に事故対策が行われている。まだ“深刻な状態”が続いている。福島第一原発の20キロ以内の住民に対して発せられた避難指示は、いまなお続いている。20キロから30キロの地域の住民には、“自主避難”が要請されている。放射能汚染による農業や漁業の出荷制限も続いている。昨日、新たに5市町村が「計画的避難区域」に指定された。
これらの地域における震災対策は、私の分類に従えば“救援が必要な段階”である。このいずれの地域においても、救援作戦の総司令官は菅内閣総理大臣である。現場で総司令官の指示に基づいて作戦を遂行している者がいる以上、総司令官は、やはり防災服を着た方が良いのではないだろうか。私ならそうする。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。