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秘密の自由と責任

13年11月03日

No.1615

私は、自分を「ごく普通の自由主義者だ」と思っている。ごく普通の自由主義者である私からみたら、許せざるべきことが次から次へと起こっている感がする。もちろん、政治の分野である。こうした傾向は、野田首相の頃から現われ始めた。先の総選挙で自民党・公明党が圧勝してから、「自由主義なんか何するものぞ」と言わんばかりの勢いだ。非自由主義なんか通り越して、右翼反動的な風潮が勢いづいている。

右翼反動は、自由主義と激しく敵対する。右翼反動は、自由主義の思想をほとんど理解できないのだ。明治憲法の時代の右翼反動は、社会主義をもっとも敵視した。それは、社会主義政党が天皇主権という国体を強く否定したからであった。自由主義的思想も天皇主権制度とは相いれないものだが、自由主義者の通弊として政治的に強く結集しなかったので、右翼反動は社会主義よりも寛大に見ていた。

昭和憲法の時代となり、天皇主権という国体・制度はなくなった。昭和憲法は、まぎれもない自由主義憲法である。しかし、自由主義による国や社会の統治を理解するのは、実際のところ、そんなに簡単なことではないのだ。自由主義的政治思想も政治思想であるから、どうやって良い秩序を作るかを考えているのだが、その発想は、自由主義以外の政治思想と根本から異なるのだ。ある面では、右翼反動が考える秩序と社会主義が考える秩序は、似ているところがある。

右翼反動も社会主義も、理想の秩序は政治権力によって作られると考えている。しかし、自由主義は、理想の秩序は政治権力によって作られるものではなくて、国民によって作られるのだと考える。自由主義は、国民が理想の秩序を作れるような手続きや制度を用意することが大切なのだと考える。自由主義が考える理想の秩序を作る主体は、健全な思想と常識をもった国民自身なのである。

話が抽象的で難しくなっているが、それは、特定秘密保護法案の問題点を理解するために、どうしても触れておかなければならないことだからである。幸いにも、いろいろな人々が特定秘密保護法案の問題点を指摘し、反対の声を上げている。私は、それらに難癖を付けるつもりなど毛頭ないが、かつてスパイ防止法案を阻止した経験者として、国民に、特定秘密保護法案の危険性を理解してもらうために、事の本質を率直に伝えていただかねば、と思うからである。

いつも述べているように、自由主義は政治権力に対する猜疑からから出発した。だから、自由主義にとって権力は、そもそも批判の対象なのである。しかし、現実に国家・社会を統治している権力が、どうしても国民に秘密にしなければならないと考えることは、あるであろう。その中には、真に秘密にしなければならないこともあるだろう。もちろん、違法・不当のものもあるだろう。

仮に国民がいくら不当な秘密だといっても、そもそも、国民に秘密にしたのは当該政治権力なのであるから、その秘密を自らは、開示するまい。だから、政治権力が秘密を持つのは避けられないが、その秘密の存在を暴き、これを批判・糾弾するのは、国民の権利として保障されなければならない。それでこそ自由主義国家であり、民主主義国家なのである。

ありていに言えば、自由主義社会では、国家であれ個人であれ秘密をもつのは否定されないが、その秘密を暴くこともまた、否定されてはならないのである。特定秘密保護法案は、国家が秘密にしたいと欲するそれを暴こうとする行為を犯罪とすることだ。国家が統治をする上で、どうしても秘密にしたいと欲することがあるのは仕方がないし、禁じてみたところで、国家はそれを行うであろう。それ自体を犯罪とするのは、難しい。

特定秘密保護法案は、「国家が秘密としたことを明らかにする行為を犯罪として罰しよう」という法律なのだ。くどい様だが、国家が何を秘密にしようが、それ自体は、犯罪として罰せられない。しかし、その当不当を明らかにするためにこれを明らかにする行為を、犯罪として罰しようというのだ。ずいぶんと勝手で、権力に都合のよい法律ではないか。ただでさえ秘密が好きなわが国の国家・政治家・官僚には、願ってもない法律ではないか。

自由主義社会においては、秘密をもつことは自由だが、その秘密を守るのは、秘密を作った者自身の責任なのである。都合の悪い秘密を(あば)かれたからといって、秘密を暴いた者を罰してしまえというのは、秘密を作った者に極めて都合のよい法律だ。秘密を作るのは自由だが、それは秘密を守れる者だけに許される特権である。それができない者は、そもそも秘密などもってはならないのだ。

私は、国家の運営にそれなりに関与してきた。その間には、文字どおり秘密にしなければならないことが多々あった。しかし、本当に秘密にしなければならないことに関与した者は、その秘密を漏らさないし、その能力がないと思われる者に、その秘密に関与させるような愚は行わなかった。長い間政権党であった自民党の国会議員は若い頃から、こうした修練を自然と積んでいったのだ。官僚もそうだったのだろう。

いささか長く執拗になって恐縮だが、以上が、国家の秘密に関するものの考え方である。国民の信託を受けて国家の運営に参画する者には、ここで述べたような秘密を守る能力が必要なのである。その能力に自信がないからといって、秘密を漏らした者や秘密に接触しようとする者を罰してしまえという考えは、事の本質をまったく理解していない者の、浅はかな暴挙なのである。自由主義の敵として、断罪しなければならない。

今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。

  • 13年11月03日 03時02分AM 掲載
  • 分類: 2.国内政治

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