KYではなくアナクロニズム!!
07年09月20日
No.556
KY(空気を読めない)という言葉が流行っている。私はこういうものをあまり好まない。空気が読めないでいいではないか。昔からこういう人物はどこにでもいたものである。多弁ではあるが、どう考えても全体としては適切でなく、周りは迷惑するし、その人の評価も上がらないのに肝心要のその人はまったく気が付いていなのである。そのことを注意しようものなら、たいへんなことになる。だから、友人でも注意しないことになる。
いま行われている自民党総裁選などは、KYの典型ではないだろうか(笑)。私はまったく興味ないが、テレビなどが勝手に流してくるので嫌でも目に入ってくる。多くの人もそう思っていると思うのだが、演じている候補者がまずKYなのである。これをやっている自民党全体もKYである。こういうものを十年一日のごとく流すマスコミもKYといってもよいのだろう。私はKYではなく、アナクロニズムだというべきだと思っている。アナクロニズムとは“時代錯誤”のことである。
衆議院で化け物みたいな多数を自公“合体”政権がもっているので、アナクロニズムの総裁選で当選した者でも確かに総理大臣に指名される。総裁選候補者の目糞鼻糞の話などは聞きたくもないし、芸能ニュースと同じくらい馬鹿らしい。そんなことは総理大臣になってから批判的に報道すればそれでよいことではないか。演じている候補者や演じさせている自民党は、どんなにお粗末な選挙であっても自民党の宣伝になる、その広報効果は1日何十億円になると思っているのだろう。しかし、それは違う。時代と背景が違っているのだ。だから、私はアナクロニズムだといっているのだ。
選挙というのは競馬みたいなもので予想はいろいるできるが、実際には走ってみなければ分からない。だから、私は馬券は買わないが、競馬の放送を観るのはけっこう好きである。だいいち、サラブレッドの走る姿は美しい。今回の総裁選で大番狂わせをする“度胸”など自民党にある訳がない。そんな度胸があるくらいなら、そもそも候補者の顔ぶれはもっと違ったものになっていた筈である。だから、今回の選挙は、福田氏の当選で決まりなのである。結果の分かっている選挙ほど、つまらないものはない。
自民党が宣伝効果を狙ってど派手な総裁選をやるのは勝手であるが、現在は国会開会中なのである。天下はいまや自民党を中心には回っていないのである。結果の分かっている総裁選などはさっさと済ませ、重要問題を議論することを国民は望んでいる。十年一日のごとく総裁選を報道するマスコミもKYを通りすぎて、アナクロニズムである。あらゆる政治現象を批判することが、ジャーナリズムの責任だとしたらこういうことをキチンと指摘しなければなければならない。無批判に総裁選を報道すること自体が、自民党に大きな利益を与えているのである。この程度のことを理解できないマスコミは、ジャーナリズムの役割を果たしていない。
国連安全保障理事会で、アメリカの提出した決議案に「インド洋における給油活動を評価する」という文言が入っているという。わが国の外務官僚が必死になってお願いして入れて貰ったのであろう。高村防衛大臣がそのことを率直に認めていたし、喜んでいた。こんなことでテロ特措法延長問題が解決すると考えたら、それもアナクロニズムである。国民はわが国の外交防衛政策があまりにも対米従属であることに辟易としているのである。安倍首相になってから拉致問題などに対する理解と協力を外国に求めることが当然のように行われていた。こんなことは拉致問題を一生懸命やっているんだと国内的にアピールするには効果があるかもしれないが、それだけのことだ。
“脱皮できない蛇は死ぬ”は、ニェチェの言葉である。時代とその存在を支えている基盤が変化していることに気が付かず、十年一日のごとく行動することはアナクロニズムである。いつもいっているように政治とは、「具体的状況を具体的に分析し、適切な行動を行うこと」である。アナクロニズムな政治行動をしている者は、必ず滅びる。ちなみに、時代劇はアナクロニズムではない。私は時代劇は好きな方だ。面白い時代劇というのは、その時代では困難と思われることを痛快にやってのける成功物語なのである。いうならば、具体的状況を具体的に分析し行動した者の話なのである。
それでは、また明日。