脚下照覧
09年11月20日
No.1348
いま、都心では明らかにタクシーが過剰である。夜になると、空きタクシーで溢れている。空きタクシーが多く、交通がスムーズにいかないのである。繁華街では、タクシー公害などと言われている。そんな状態だから。タクシーを拾うのに苦労はしない。
ところが、昨日珍しいことがあった。空きタクシーに手を挙げたのだが、無視され、通り過ぎて行ったのだ。こういうことは滅多にない。それが一日に2度もあったのだ。2台とも、優良タクシーといわれている黒のタクシーであった。
2度とも、私が手を挙げるタイミングは確かにちょっと遅かった。お客が少ないのだから、ほとんどのタクシーは停ってくれるのだが、昨日は2度とも通り過ぎて行ってしまったのだ。
私の好きな言葉に“偶然は2度は続かない”というのがある。何を隠そう“さいとう・たかを”のゴルゴ13にあった言葉だ。もちろん、空きタクシーがいっぱい走っているので、直ぐにタクシーは拾えたし、乗車拒否などでなかったことは明らかである。別に、めくじらを立てるほどのことではない。
2度目の“通過事件(!?)”の後に乗ったタクシーの運転手さんに、このことを話してみた。若い運転手さんだった。
「そうなんですよ。お客があまりにも少ないものですから、つい先ばかり見ていて近くのお客さんを見逃してしまったのかもしれませんね。なにしろ1時間走っても2時間走っても、一人もお客さんがいないことがざらにありますからねぇ。」
私は、タクシーの運転手さんの話がよく理解できた。それほど東京のタクシーの諸事情は厳しいのだ。
先を急ぐと、こういうことになりがちである。誰もが同じような過ちを犯しているのではないか。事業仕分けなども、明らかに急ぎ過ぎである。事の是非は兎も角、そのような批判が多い。私もそう思う。
今朝未明の国会で、自民党と公明党が欠席の中で“返済猶予法案”が可決された。まさに、これまでと役者が入れ替わっていたのだが、だから構わないということにはならない。政権党としての、民主党の体質が問われるのである。
このような御仁に、禅の「脚下照覧」という言葉を贈りたい。
それでは、また。