百花斉放 百家争鳴
09年11月26日
No.1353
国民の8割以上が賛意を示しているからなのだろうか、事業仕分けについての批判はほとんどない。ところでいま精力的に行われている事業仕分けは“事務的”な事業仕分けなのだろうか、それとも“政治的”な事業仕分けなのだろうか。最後は行政刷新会議という偉いところで政治的に決められるとか言われている。ただし、事業仕分けチームが行った結果は最大限尊重されるとも言われている。そうすると事業仕分けの作業に携わっている政治家の立場はいったい何なのだろうか。
そもそも事業仕分けチームは、どのような法的性格のものなのだろうか。政府の審議会みたいなものなのだろうか。それとも民主党が組織したプロジェクトチームなのだろうか。たぶん前者だと思うが、そうだとすると小沢民主党幹事長の一声でそのメンバーが変えられてしまうというのはおかしなことである。仕分け人には日当が出ているようだが、政府のカネ(税金)なのか、それとも民主党のカネなのか。ニュース報道番組を注意深く見ているのだがどうもこの辺が分からない。
まぁ、こんなことは少し調べれば直ぐに判ることだが、私にはそうした意欲すらも起きない。なぜかというと、せっかく政権交代したのだから本当に見直し・仕分けをしなければならないことはもっと大きな問題だと思っているからである。外交や防衛、公務員制度(公務員の給与体系)、公共事業のあり方、社会保障制度等々である。こういう分野は、事務的な見直しや仕分け作業では行うことができないのだ。また政権交代という機を捉えなければ、まず出来ないことだからである。
JICAの出張旅費などが話題になっていたが、現在行われているODA(政府開発援助)など政治的に見直さなければならないことは山ほどある筈だ。こんどアフガニスタンの民生支援ということで行われる5000億円なども外交・防衛問題の最たるものであろう。アフガニスタンの治安悪化・経済崩壊は、そもそもアメリカのアフガニスタンへの戦争によって引き起こされたものである。果たしてアフガン戦争は本当に終結したのだろうか。ここを良く見極めないで民生支援することは、わが国の憲法に照らしておかしなことになる。
公務員の天下りだけを問題にするが、わが国の財政の状況は危機的である。公務員制度や給与体系を見直す絶好の機会であろう。その意味で十年一日の如く、人事院総裁に厚生労働省事務次官経験者を据えたのは、きわめて疑問である。
今日から駐留米軍への“思いやり予算”がテーマとなるそうだ。しかし、5兆円近くの防衛予算はこれからも本当に必要なのだろうか。わが国をめぐる国際情勢・軍事情勢は劇的に変化した。冷戦下の軍事情勢を前提に作られている防衛予算は見直さざるを得ないのであろう。
まぁ、それは年末の予算案決定の時に行うと言いたいのだろうが、こういう重要なことを政治家だけで決められては困るのである。こういう問題こそ国民を巻き込んで大々的に議論する必要があるのだと私は考えている。
“百花斉放 百家争鳴” をご存じだろうか。“百花斉放 百家争鳴”の政治的背景はなかなか複雑なようだ。私たちの世代では革命というと、このようなイメージが湧く。自由主義社会で行われた民衆革命なのであるから、わが国では、ぜひ“百花斉放 百家争鳴”といきたいものである。そういう意味で“事務的な事業仕分け”をやっているのならば、結構なことである。別に異を唱えるつもりはない。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。