懐かしき"盆暮勘定"
09年12月01日
No.1357
今日から師走である。師走という言葉を習った時、「12月は“先生”と呼ばれる人たちも金の遣り繰りが大変で忙しく動くからだ」と教えられた。私は大学を出た時から一応“先生”と呼ばれる職業に就いている。だが金の遣り繰りのために走らなければならないことなどなかった。別にお金があったからではない。私は自分が持っている(あるいは収入が見込める)範囲内でしか支出をしないように心掛けていたからである。要するに“身の丈”以上のお金は使わないのである。政治は商売でないのだから…。
師走という言葉が生まれた頃は、いわゆる“盆暮勘定”だったと思う。私が子供だった頃、新潟県の田舎ではまだ盆暮勘定の名残りと雰囲気があった。半年間のツケを払わなければならないのだから、それは大変だったと思う。また半年間もよくツケで物を売ってくれていたと感心する。商店に特別お金があった訳ではないだろう。小売店は卸売店から同じようにツケで買っていたのであろう。社会全体の経済が盆暮勘定で回っていたのだ。
こう書いていて気が付いたことだが、ボーナス(賞与)を盆暮に支給するのはこれと関係があるのではないだろうか。ボーナスや退職金の法律的性格は、基本的に賃金の後払いと考えられている。労働法では賃金の支払いを厳しく定めている。原則としてできるだけ早く支払うことを定めている。後払いなど、本来は“もってのほか”である。労働三法が施行された昭和20年代、わが国の経済はまだ厳しかった。だから盆暮のボーナス(すなわち賃金の後払い)をある程度は容認せざるを得なかったのであろう。
いまボーナスの支給額が落ち込んでいる。今年の暮れのボーナス支給額の減少率は、統計をとり始めてから最大の落ち込みだという。白川勝彦法律事務所の依頼者の多くが、ボーナスや残業代が少なくなったため消費者ローンの支払ができなくなったので債務整理をしたいという。要するに、わが国の労働賃金が下がっているのである。
債務整理が増えているのには、もうひとつの理由がある。いわゆる“総量規制”とよばれているものである。これは問題が大きいので別の機会に譲る。
閑話休題。盆暮勘定の時代でも半年に1回は決済したのである。そのときには決済資金が要るのである。ところが最近までの消費者ローンの流行は、闇雲にどんどん貸し付けていたのだ。希望もしていないのに業者がローンが出来るようにしてきたのだ。カードローンの流行は、アメリカで始まった。わが国もこれを見習ったものであろう。何でも見習えば良いというものではなかろう。
どんどん貸し付けることによって膨らんできたアメリカ経済は、決済ができなくなって破綻した。それがサブプライム・ローンの破綻であり、リーマン・ショックであったのだ。借金(掛売り)は、いつか返済(決済)しなければならない。即日決済が現金商売である。1ヶ月決済というのが多いのであろう。商品クレジットの支払いはほとんどこれである。盆暮勘定は半年単位だ。ずいぶんとのんびりしているようだが、もっと長いのがある。
消費者ローンなどは4~5年かかって返済する。住宅ローンなどは20~35年かかって返済する仕組みである。ところが60年かかって返済するものがある。わが国の国債(借金)がそうである。60年で返済すればよいなどという借金は、金利さえ低ければ貰ったようなものである。ゼロ金利政策で、住宅ローンの金利は2%前後だ。国債の金利は1%前後である。金利は確かに低いが、借金額が大きいのでその負担は大きい。わが国の公的負債は800兆円である。だから8兆円前後の金利を支払わなければならないのである。もし長期金利が3%に上昇すれば8兆円×3=24兆円である。
政治も大原則に反すれば、最後は破滅する。自公“合体”政権は、政治の大原則に反することを平気で行ったから破滅してしまった。経済の場合はもっと非情である。かつ政治のように猶予をおいてはくれないのだ。深刻な不況の中で、いろいろな論者が様々の景気刺激策や経済対策を提言している。しかし、経済の大原則からみてどうなのかという視点を失ってはならないだろう。天国に通じる道など、そんなにはないのだ。
それでは、また。