頭寒足温
09年12月10日
No.1364
各地の雪の便りを耳にする季節となった。西高東低の季節になると、私の生まれた新潟県は雨や霙や雪がよく降った。18歳で東京に出てからは、西高東低というとカラッと晴れた日というイメージである。しかし、どちらも寒いことに変わりはない。
今年の夏は冷夏だったのであろう。あまり暑さの記憶がない。2007年の夏は本当に暑かった。しかし、その夏から私は自宅で冷房を使うことを止めた。頑張ればクーラーなど使わなくてもなんとか過ごせるものである。マンションに一応エアコンはある。だから暖房にも使えるのだろうが、それ以来エアコンのスウィッチは点けたことがない。この二冬(ふたふゆ)は着なくなったオーバーコートや毛布を使って何とか寒さを凌(しの)いできた。
だがクーラーを使わないことと、一切の暖房器具を使わないことはちょっと話が違う。寒さを耐え凌ぐことは非常に辛いことなのである。それでも二冬は暖房器具なしで過ごしてきた。今年の冬はどうしようかと考えてきたのだが熟慮の結果、一昨日“電気ひざかけ”を買ってきた。消費電力は75Wである。いま、これを着けて永田町徒然草を書いている。
レベルは1~6まであるが、2くらいで十分な暖かさである。レベルを低くすれば消費電力は少なくなるのだろうが、別にCO2削減のためこのような暖房器具を選んだのではない。
昔から“頭寒足温"(ずかんそくおん…注:頭寒足熱の方が一般的なようだが、親父からこう言われたので、あえて頭寒足温を使う)というではないか。体の中は血液が回っているのだから、体の一部を暖めれば体全体が温まってくる。東京の寒さくらいは、電気ひざかけで十分だ。これ以上の暖房をとると、かえっていろいろな支障が出てくるのだ。
このスタイルで永田町徒然草を書いていると、高校時代のことを思い出す。新潟県十日町市で、私は受験勉強をした。地元の十日町高校から東京大学に合格するために、私は一生懸命に勉強した。十日町市の冬は寒い。いろいろな寒さ対策を試した結果、私は“茶箱”に電気アンカを入れ、それを毛布で覆って暖を取ることにした。
いまのようなサッシの窓でなかったので、戸の隙間からは寒い空気が入ってきた。それは、カーテンを付ければ防ぐことができた。冬でも、夜12時までは勉強した。足は十分に温まっていたので、布団には電気アンカを入れなかった。
私の家での暖房のイメージはここにあったのだ。私の勉強部屋にも家にも、テレビはなかった。いまは、自室にテレビがある。テレビをこのスタイルで見るときもあるし、寛(くつろ)いでみるときは、カーペットに座って電気ひざかけを掛けてもみる。炬燵(こたつ)に入っているのと同じような感じである。寝るときは使わない。これが、私の“最強の暖房状況”である(笑)。
それでは、また。