舵…。
09年12月12日
No.1366
12月に入ってからのニュース報道は、鳩山内閣が“迷走・難航”していることを殊更(ことさら)に強調している。昨年の今頃、自公“合体”政権はすでに漂流していた。いったい何処に向かって行きたいのかさえ分からなかったのだ。「そんなことをしていたのでは、大変なことになるよ」と私は指摘しておいたのだが、どのマスコミも関心を示さなかった。
自公“合体”政権が惨敗したのは決して偶然ではない。因果応報なのだ。その原因があるのだ。そのような現象が起こっている時に問題点を指摘し、放置していた場合に想定される方向性を示すことがジャーナリズムの役割であろう。
私はジャーナリストではない。しかし、自分の発言には責任をもっている。伊達や酔狂で権力や権威を批判しているのではない。邪(よこしま)な力を持っている者と闘うことは、火の粉を被ることを覚悟しなければできない。
自公“合体”政権は漂流していた。それだけなら一向に構わないが、その結果、日本という国が漂流し始めていたのである。外海は荒天であった。そのことに気付いた国民は、政権交代の道を選んだのだ。漂流をしていたわが国の方向舵を担わされたのだから、一筋縄には往(ゆ)かない。しかも海は荒れている。
乗組員は多士済々で、誠に意気盛んだ。どこに往ってしまうのか分からないが、鳩山船長だけは方向舵をしっかりと握り、舵をどう切らなければならないか分かっているようだ。
鳩山首相の言い振りと表情を見ていると、何となく心許(こころもと)ないように感じられるが、そんなに心配することはない。新党さきがけを立ち上げてから16年間、真正面から政権交代の王道を歩んできたのだ。その間に党代表を務めまた党・内閣の重責も立派に果たしてきたのである。鳩山首相は政局面でも政策面でも、十分な政治経験をもっているのだ。鳩山首相の際立った特長は、ブレないことである。重要な場面でブレてしまったのは、他の人たちであった。私はその目撃者である。
しかし、漂流していたとはいえ、自ら望んでその船の船長となった以上、その任は果たさなければならない。この航行を無事に果たすためには、日々が正念場であることは疑いのない事実だ。
大きな船は舵を切っても、直ぐに方向は変わらない。それで良いのだ。どこに向かって舵を切るのかが重要なのだ。鳩山首相が“今年の漢字”として選ぶべきは、「舵」であった。故無しとしない。
それでは、また。
P.S. ちなみに、鳩山首相が一日考えて挙げた漢字は、「絆」だったが、それほど重要なことはない。私が首相だったら、きっと「舵」を挙げたであろうが…(笑)。