守るも攻めるも…
09年12月28日
No.1379
今日が“仕事納め”という人が多いのであろう。しかし、世の中全体は12月23日の天皇誕生日からもう年末年始モードだ。私から見たら、世の中全体が何となく“だらんと”しているように感じられる。一年間頑張ってきたのだから、「年末年始を祝うな」などと言っているのではない。こういう慶事を私は人一倍大切にする方である。でもいまの年末年始のだらんとした雰囲気はあまり好きではない。どうしてなのだろうか…。
私は商売をしている家で育った。昔の年末は、それこそ緊張感があった。一年間の貸借を決済するのが、日本の大晦日であった。だから商人の家でも、普通の家でも“守るも攻めるも…”の大晦日だった。子供ながらに年を越すことが大事(おおごと)なのだと感じられた。この攻防を終え何とか乗り越えて、めでたく元旦を迎える。それが日本の正月だった。正月は艱難辛苦を乗り越えたことを祝う慶事だったような気がする。大人も子供も羽目を外して楽しんだものである。
「貧しかったからなのでしょう」と言えば、それまでのことである。天の邪鬼の私としては、それではいまの日本はそんなに豊かなのかと言いたくなる。キリスト教徒にとってはクリスマスというのは日本の正月のようなものであろう。だからクリスマス・カードも出すのだろう。
正月はどのような宗教に基づく慶事なのであろうか。神道なのか仏教なのか、それとも日本の習俗なのか。その考察は今日はしない。現在の日本の年末年始モードは、キリスト教と神道or仏教or習俗に基づいている。しかし、良い事は何でも集めればよいと言うものでもないだろう。いろいろと考えることはあるが、私は“守るも攻めるも”の仕事に出かけなければならない時間となった。
それでは、また。