大道無門
10年01月01日
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No.1383
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
2009年8月31日、念願の政権交代は実現した。2010年元旦、そんなに明るい雰囲気はない。それが多くの国民の率直な感慨ではないだろうか。はしゃいでいるのは、念願の当選を果たした国会議員と運良く大臣ポスト等を射止めた人たちくらいである。多くの国民は、華やいだ気になれないのだ。それは何故なのだろうか。
自分たちが支援した政党や候補者は選挙に勝ったが、政権が自分たちのものになったという実感がないからである。事業仕分けでは、民主党の議員やどうして選ばれたのか分からない仕分け人たちが、派手に官僚たちを遣(や)っ付けてくれた。しかし、明らかに無駄だということを直したに過ぎない。慇懃無礼(いんぎんぶれい)な役人が、これまで通りのさばっている。国民にとっていちばん我慢できないのが、こういうことなのである。
公務員のことを英語では、パブリック・サーバントという。言わずもがなのことだが、サーバントとは使用人・サービスする人である。日本の役人のどこに、サービスというイメージがあるのか。日本の役人は上から下まで、命令する人である。サービスなどという感覚は持ち合わせていない。どんなに大きな会社であろうが、サービスという感覚を持ち合わせない会社は、必ずダメになる。それが資本主義の厳しさ・非情さである。百数十年続いた財閥系の会社であろうが、サービスという感覚がなければダメになる。
官僚機構は肥大化し、国家として最低限必要な公権力の行使をしている部署の外にも、国や地方自治体は多くの仕事をしている。そういう仕事をしている役人が、いっぱいいる。“公共企業体”という言葉がある。本来はガス水道事業などをやっている部所(ぶしょ)の呼称だが、いまや行政機構全体が公共企業体となっている。公共企業体ならば、もっとサービス感覚を持たなければダメだと思う。
鳩山内閣の使命は、国民の政権を作ることである。官僚主導であろうが、政治家主導であろうが、行政は国民にしっかりとサービスするものでなければならない。分かりやすく言えば、“国民の国民による国民のための政権”ということだ。話は単純である。いま国の行政がそうなっているかだ。民主党が政権を獲って、国の行政のやり方が少しは変わっただろうか。そんなことは、霞が関に行ってみれば直ぐに分かる。自公“合体”政権時代と少しも変わっていない。官僚の機嫌を伺う先が変わっただけのことである。官僚が国民に気を遣(つ)かうようにすることが肝腎なのだ。そんなことを考えて、2010年の年賀状は「大道無門」とした。
読者諸氏にとって、良い年でありますように。本年もどうかよろしく。