人生の目的
10年01月28日
No.1402
「人生の目的は、生きることである」と誰か偉い人が言っている。この永田町徒然草を書く目的も、ただ書くことだけで良いのかもしれない。そして、永田町徒然草を読んで下さる人も、ただ読むだけなのかもしれない。
しかし、誰も書く以上は、少しはマシなモノを書こうとする。読む方は、少しくらい良いことが書いてあるだろうと期待してアクセスする。とかくこの世は厄介である。
昨晩は、気のおけない友人と久しぶりに会い、少し飲んだので、帰るとバタンキュー。そのせいか、午前4時頃に目が覚めたので、たっぷりと時間がある。今日は気合の入ったモノを書こうと思っていたのだが、徒(いたずら)に時は過ぎ、これを書き始めた時には午前7時を回っていた。出かけるまでにはまだ少しは時間があるが、マシなことを書けそうもない。無理して書いてみても、どうせ碌なモノは書けないであろう。本当は“今日はお休み”としたいところだが、ここまで書いたのだからupdateしておこう。
永田町徒然草を書く目的は、ただ書くことなのかもしれない。それで良いと思っている。時間があって気分がのった時は纏まったものを書こうと思うが、気合が入らないときは駄文を繋げるだけとなるだろう。だが、それでも書く意味はあるのかもしれない。街頭演説と違って人に迷惑をかける訳じゃないのだから、許されるだろう。
毎日、いろいろな事件や事故が起き、ニュース報道が伝えてくれる。別に、誰かがシナリオを描いている訳じゃない。しかし、変なドラマよりはるかに面白い。いろいろな出来事が起こるのは、人が生きているからである。その人は、何かの目的をもって生きているからなのであろうが、その目的が変な場合には、変な事件となる。「人生の目的は、ただ生きること」と考えれば、起きなかった事件はかなりあると思う。しかし、ただ生きることが大変なのだという人が増えている。困ったことである。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。