ホトトギス・不如帰
10年02月12日
No.1413
永田町徒然草No.1412「鳴いて血を吐く…」のタイトルは、いささか刺激的だったかもしれない。もちろん「鳴いて血を吐くホトトギス」の“ホトトギス”を省いたのだ。ホトトギスは「不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄」などと表記されるが、その由来となると…。もともとは「杜鵑の吐血」という中国の故事に由来する。その概要は次のようなものである。……
古代中国、長江流域(四川省)で栄えたとされる蜀という国があった。蜀といえば「三国志」の蜀が有名だが(3世紀、日本なら卑弥呼の時代)、それよりも千年以上も前に蜀という国があったという。それに関係したらしい三星堆遺跡が1986年に発掘され、多くの金器や青銅器などを出土、黄河流域中原文化とは別の、中国特異な文化遺跡として大きな注目を集めた。
その蜀が荒れ果てていた時、杜宇という男が現れ、農耕を指導、蜀を再興した。彼は帝王となり、望帝と称した。望帝杜宇は長江の氾濫に悩まされたが、それを治める男が出現、彼は宰相(帝王補佐)に抜てきされた。やがて望帝から帝位を譲られ、叢帝となり、望帝は山中に隠棲した。
実は、望帝が叢帝の妻と親密になったのがばれたので望帝は隠棲したともいわれる。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身した。そして、杜宇が得意とした農耕を始める季節(春~初夏)が来ると、そのことを民に告げるため、杜宇の魂化身ホトトギスは鋭く鳴くようになったという。
歳月は流れ、蜀は秦(中国初の古代統一国家。始皇帝が建国)に攻め滅ぼされた。それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。
以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんであるという。
ホトトギスは口の中が真っ赤であることとその泣き声がとても鋭く甲高い声なので、血を吐いてもおかしくない様子から先の故事とホトトギスの姿を重ねて見たことに由来する。
最近の永田町の動きにあまり胸がときめかないのは、不如帰(ホトトギス)の心境だからである。私だけがホトトギス(不如帰)であればよいのだが…。