近ごろの年末風景
10年12月20日
No.1450
押し迫ってきた。私はこの1年を締めっくるのに、連日忙しい。私も弁護士の端っくれなので、まぁ“師走”っていうところだ。それにしても、最近の年末は切迫感が欠けている。昔の12月は、もっと忙しかったものだ。最近の日本人は、だいたい850ヶ月から1000ヶ月くらい生きる。リボ流行りだが、900ヶ月リボなど流石(さすが)にない。だから、人生を70から80回位に区切ってみることは大切だと私は思っている。
私の年末の原風景は、大晦日前後の攻防である。井原西鶴の『世間胸算用』(西鶴は「せけんむねさんよう」とルビをふっている)を読んだ時、似たような雰囲気が私の家にもあった。年を越すことは大変だったのだ。皆が必死に、1年を締め括ろうとしていた。そして、新しい気持ちで新年を迎えたのだ。
ところが、最近は12月23日の休日から始まって、クリスチャンでもないのにクリスマス・イヴ、クリスマス、28日は役所の御用納め、29日は会社の仕事納め、いつの間にか銀行も31日は休日となっている。“何とか今年中にけりをつけよう”などという緊張感は、世の中にさらさらない。これだけ不景気が続いているのだから、会社も個人も本当は苦しい筈だ。だったら“年内にけりがつけてくれるのなら”とある程度の妥協は、いろいろな場面であっても双方にとって得だと思うのだが、そのような遣り取りは意外に少ない。
まぁ、これで良いのなら構わないが、私は昨日の日曜日ゆっくり休んだので、大晦日まで必死に働くつもりである。「債務整理の“剛腕”仕事人」と自負している限り、それは当然のことと心得ている。それは、心意気なのだ。いずれ「剛腕仕事人」の心得を披歴してみたいと思っているが、まず第一の心得は「仕事に対する熱意・使命感」だ。債務整理という仕事は、命の次に大切なお金の悩みの解決を請け負うのだ。このことを勘違いしている人が多い。
ちなみに永田町では、いろいろな動きがある。永田町徒然草で論評を加えたいことは多々あるが、その熱意と使命感が私の中で急速に萎えている。彼らにいくらモノをいってもダメなのだ。人の意見に必死に耳を傾ける気がないのだ。人の意見に耳を傾けようとしない手合いに向かって、必死に叫んでも無駄である。そういう政治家しか持っていないことが、私たちの最大の不幸なのではないか。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。