冬来たりなば、春遠からじ。
11年01月28日
No.1455
気候の上では、本格的な冬が進行している。雪国で育った私は、伝えられる程度の雪の報道には驚かない。いろいろな意味で、雪には苦労させられた。本当に泣きたい時もあった。しかし、泣いてみたところで雪の問題は解決されなかった。耐えて、雪と闘うしかなかった。大人たちは「冬来たりなば、春遠からじ」と励ましてくれた。とは言え、雪・寒さの厳しさから解き放されることは無かった。
気候以外でも、いまわが国では、いろいろな分野で本格的な困難があちこちで起こっている。鳥エンフルエンザや霧島連山の噴火のように、どうしようもないことの困難もある。しかし、政治や経済や社会の困難や問題は、ほとんどハッキリとした原因がある。しかも、ほとんどの国民はそのことに気が付いているのだ。でも、気候や噴火のように、訳もなく訪れた困難だと思いたいと考えているのではないだろうか。だが、それは間違っている。“因縁果報”と認識することが、問題解決の第一歩だ。
認識が正しければ、問題解決の方法はほとんど自明となる。ただ、問題解決の方法が自明となることと、問題の解決は同じではない。問題を解決するためには、努力という営為が必要なのだ。その営為をしない限り、いくら僥倖を祈ろうが、ほとんど虚しい願望となる。虚しい願望を持ち続けることは、無責任であり、時には滑稽でさえある。永田町で問題となっていることなど、その類のことである。少し政治の経験がある者として、「冬来たりなば、春遠からじ」と、言葉を贈りたい。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。