あくまでも自然体で
11年07月26日
No.1500
今週の初めは、永田町徒然草をupdateできなかった。それは、日曜日に重要な案件があり、それに忙殺されたからである。一週間休みなしで働いた後、日曜日も仕事をすると、ガックリきて、もう何もする力がなくなる。いまの私の本業は、弁護士なのであって、政治的メッセージを発することではない。だから、永田町徒然草を書くことは、本業の後の仕事なのだ。
それに、永田町徒然草の通算ナンバーが1500になることは知っていたので、どうせ書くならば少し気合の入ったものを書きたいという気負いもあった。それがイケなかった。その気負いが、却って邪魔をしてしまったのだ。そんなものは私一人の気負いに過ぎないのであり、自然体で臨めば良かったのだ ─ と、こう、口でいうのは簡単だが、誰にでも気負いというものがあり、自然体ほど難しいものはないのだろう。
白鵬も、名古屋場所に史上初の8連覇が懸かっていた。いまの白鵬ならば、そんなものは難なく乗り越えると思っていたが、あえなく潰(つい)えた。双葉山の69連勝を塗り替える場所でも、あえなく頓挫した。“史上初”というのは、やはり誰にとっても重いのだ。魁皇については、この前に書いたので敢えて触れない。私にとっての慰みは、日馬富士の優勝であった。私は、安馬の時から、この力士に期待していた。しかし、私の期待を裏切り、大関に昇進してから低迷していた。来場所に優勝して、一挙に横綱に駆け上がって欲しいものである。
永田町徒然草の通算1500号も、考えてみれば、それなりのものなのである。この12年間は、私の人生の中で最大の試練の時であった。その12年間の、私の生き様や思索を表白する永田町徒然草は、私と私に関係する方々にとって、それなりに意味のあるモノだった。発信ゼロという時もあったが、それも一つの表白であった。私が生きている限り、多分白川サイトを閉鎖することはないであろう。もしそうだとしたら、永田町徒然草は、何よりも自然体でなければならない。
それでは、また。