“わが友”へのエール
11年08月01日
No.1501
今日から8月である。台風6号が来る前のあの暑さから、今年の夏はどんな暑さになるのかと心配していた。ところが、この1週間以上、ともかくも暑さからは解放されている。電気の需給も安定している。そろそろ本来の暑さに戻ってもらわないと、秋の実りが心配になってしまう。テレビなどでは“厳しい暑さ”というが、そのような天気が豊かな実りを齎すのだ。私は農村育ちなので、原体験としてそのことを知っている。だから、敢えて“良い天気だ”というのである。
「アメリカの債務問題が解決しそうだ」と、先程のテレビニュースで放映していた。まさか、アメリカがデフォルトすると私はずっと思っていなかったし、いまも思っていないが、闘いというのは、緊張感がなければダメなものだ。観客が“はらはら、どきどき”するほど闘うのが、アメリカ流のやり方である。政治でも同じだ。それをみて市場関係者が為替を売ったり買ったりしたとしても、それを投機とはいえないと思う。しかし、今回の為替の動きの中で、いちばん儲けたのは多分アメリカの金融筋であろう。彼らは“したたか”なのだ。
それに比べ、日本の政治には緊張感というものがない。いかにも日本風である。危機であっても危機と思わず、どうでもよい事を“危機だ、危機だ”と騒ぐ。菅首相の居座りをいろいろと騒いでいるが、必死・決死の行動は何も起きない。弛んだゴムのように、日本の政治には、抵抗力も反発力もない。政治家が行動を起こさないのだ。それは“危機だ、危機だ”と騒いでいるマスコミや国民の怒りが本気でないからなのだろう。政治家は、その辺のことを見透かしているのだ。国民は怒るときは、本気で怒らなければならない。
私は、残念ながらもう、国民にも政治家にもいっさい期待していない。だから、永田町徒然草で日本の政治について論評する気がしないのである。いろいろな政治的主張や論説がインターネットに溢れているが、言葉を羅列しているだけで、真剣さがほとんど伝わってこない。真剣さが感じられない政治的論説は、無価値に等しい。そのことを私は“わが友”に言いたいのだ。
何だかんだといっても、8月は煌々と陽が照るであろう。暑い日が続くであろう。その暑さに耐えながら、私たちは“きたるべき日”を期して、エネルギーを蓄えていこうではないか。夏こそは、そういう時なのだ。だから、私は夏が好きなのである。これが、今年の8月の最初の日に“わが友”へ贈る私の心からのエールである。私も、元気で頑張る。
それでは、また。