価値観の相克
11年08月15日
No.1505
▲ 昭和20年8月15日付新聞
今日は、66回目の終戦記念日である。66年前の8月15日も、暑い日だったそうだ。正午の玉音放送を聴いた多くの国民は、難しい言葉と雑音のため、詳しい意味は分からなかったらしい。が、それでも、重大放送で「とにかく戦争が終わった」ということだけは伝わったという。多くの国民にとって、それは長い長い戦争だった。戦争は、多くの国民に多大の労苦を与えた。その戦争が終わったと告げられたのは、“極めて重大”だった。
▲ 勤労動員で働く女性工員 朝日新聞社
朝日クロニクル 20世紀 第4巻より
わが国の戦争は、総動員体制で進められていた。国民を総動員体制に組み込んでいた政府は、国民に職と食を与える義務があった。それが不十分なものであったのは事実だが、国民は、体制の中で職と食を得ていたのである。戦争が終わった以上、総動員体制は解除された。国民は無政府状態の中で、自らの職と食を確保しなければならなくなった。それはそれで、大変なことであった。「いかなる悪い政府も、無政府状態よりマシである」という箴言を思い起こせ。
▲ 連合国軍最高司令官総司令部だった
第一生命館(1950年頃)
暫くして、GHQによる占領が始まった。他民族による占領政策が国民にとって良い筈はないが、国民は、GHQの占領体制の中で生きて往くより他に、道がなかった。しかし、GHQの占領政策は、総動員体制の戦争よりも何か違った方向に向かうのではないかという、一縷の希望を国民に与えたようである。それまでの日本では考えられないことが、次々と起こった。唯ひとつ、確実に言えるのは、「GHQは、国民に職と食を保障する存在ではなかった」ことだ。戦争は強制されなくなったが、衣食住は自らの力で確保せざるを得なかった。
▲ 1945年9月27日
昭和天皇、マッカーサーを訪問
GHQの占領政策をわが国の歴史の中でどう評価すればよいかは、当時も今日も、将来もいろいろな意見があるだろう。軍隊による占領が、バラ色である筈がない。しかし、わが国の無謀な戦争が、あまりにも多くの犠牲を国民に強いたことだけは確かである。この世の出来事は、すべて相対的に評価されるのではないか。他民族の軍による占領であったとしても、良いことは良かったと評価すべきだと、私は考えている。その中で特筆すべきは、新憲法の制定であった。それは、GHQの占領政策をも政治的に羈束(きそく)するものであった。
▲ 日本国憲法原本
「御名御璽と、2頁目の大臣副署」
新憲法の制定は、価値観の相克と転換を国民に余儀なくさせた。新憲法の制定は、新しいものを作る契機にはなったが、新しいものを一挙に作りだすものではなかった。物心ついたころから、私は、新しい価値観と古い価値観が生活の現場で相克するのを目撃した。それは、極めて真剣なものであった。ときには、親子の縁・様々な縁を立ち切らざるを得ないほど、深刻なものであった。そのような相克の中から、今日の日本が生まれてきた。そして、今も続いている。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。