国破山河在 城春草木深
12年05月13日
No.1549
今日は、全国的に恵まれた天候のようである。東京も、絶好の五月晴れだ。自宅で過ごす、久しぶりの日曜日である。体調も非常に良いので、散歩を兼ねて、少し出かけてみるつもりだ。昨日から、いつものとおりの永田町徒然草を書こうかと考えた。しかし、いざ書こうとなると、なかなか焦点が絞れない。日本の政治に関していえば、あまりにも出鱈目が多過ぎて、何から書いて良いのか迷ってしまうからだ。
近ごろ、天候・気象に関する報道が多い。私が入院する前は、桜に関していろいろなことが言われていた。桜の開花の前後、確かに天候が不順だった。しかし、大きな目で見ると、桜の開花は、例年より1週間も遅れはなかった。外出できるようになって、少し病院の周りを散歩したときの強烈な印象は、見事に咲いているツツジの花であった。桜のニュースがあれだけ賑やかだったのに、ツツジの話題はほとんど無かった。
先週の月曜日から、私は、タクシーで普段通りに動いている。新緑は日に日に濃くなり、気温の変化は不順であるが、いつもの“新緑の候”である。大袈裟だが「国破れて山河在り、城春にして草木深し」の思いだ。政府・民主党は、いろいろなことをやっている。しかし、どれも問題の本質からズレたことをやっている。これでは、間違いなく日本という国はおかしくなる。事態の流れに右往左往するのではなく、自然の流れを冷静に見極め、適切な対応が必要なのだ。
政治や経済にも、同じような流れがある。自然現象と違い、政治や経済の流れには、国民の行動が関与している。しかし、国民の動向や希望どおりにいくとは限らない。政治や経済の動向には、自然現象と同じように人智ではどうにもならない原理原則がある。それを探るのが、政治学や経済学 ─ 人文科学といわれる学問である。政治学や経済学の教えに、私たちは忠実でなければならない。
政治や経済に関する情報・報道は、政府による思惑をもって行われることが多い。だから、国民は批判的にこれを受けとめる必要がある。批判的精神が、いまほど国民に求められている時はない。健全なジャーナリズムがいまこそ必要なのだが、もうほとんど権力に籠絡されている。インターネットがあるから大丈夫だという人もいるが、私は、それほど楽観していない。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。