心ときめく政治が…。
12年08月26日
No.1525
いま、沖縄・奄美大島は台風15号に直撃され、猛烈な雨と暴風に晒されているという。しかし、東京は、いつものカラカラ天気だ。クーラーを点けて、自宅でこの永田町徒然草を書いているが、カーテンの空いた所からの照り返しで、肌が痛いくらいだ。カーテンをキチッと締め直したところだけれど、とにかく暑い。雨も少なく、この前、タクシーの運転手が「この辺で、“弱い台風”がひとつ、来てくれると良いんですがねぇ」と言っていた(笑)。
最近、暑さを凌ぐために、外で過ごすことが多い。自宅ではあまりテレビを観ないが、たまにテレビのスイッチを点けて全チャンネルを回しても、観たいと思うモノがなく、スイッチを切ってしまいがちである。自宅のテレビは、全部で17チャンネルが見られるのだが、その全部に、心ときめくモノが無いのである。これが、わが国のテレビ界の現状である。わが国の文化の低調の象徴である。文化で生きていくしかないわが国の、最大の危機である。
政治も、大きく捉えれば“文化”の領域に入ると、私は思っている。政治の分野でも、“心ときめく”政治家や政党がいないのが、現状である。だから、ニュース報道に登場する政党や政治家の発言や行動に、国民の心を打つモノが少しも無い、というのが現実である。これでは、政治的ニヒリズムに陥ってしまうのも、已むを得ない。しかし、ニヒリズムから有意義なモノは、結局のところ何も生まれない。
政治の分野に当面する現実的な問題が何もないのなら、ニヒリズムで良いのだが、果たしてそうだろうか。いつもいっている通り、現在の最大の政治的テーマは、「自公民・談合の消費増税10%粉砕」という、極めて具体的かつ現実的な問題である。多くの国民が反対しているこの問題について、心ときめく政治行動を示すことができないようでは、わが国には、政党もなければ政治家もいないことになる。昔風に言えば、「この世には、神も仏もいないのか」ということだ。
いかなる神や仏を信ずるかは、信仰の問題であるが、いかなる政治家や政党を育てるかは、政治の問題である。ただ、宗教も政治も、“啓示を受けた者”の行動から始まる。いま必要な行動は、「自公民・談合の消費増税10%」をどうやって阻止・粉砕するかという、極めて具体的かつ現実的なことである。既成の野党であれ、こう思っている者は大同団結し、具体的な行動を起こせば良いのだ。それができないようならば、そういう政党や政治家は、国民から見放されるだけである。
それでは、また。