どうでもいいけど一言
12年09月23日
No.1529
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よく言ったものだ。彼岸の中日の昨日から、随分と過ごし易くなった。昨夜、車に乗った時に窓を開けると、気持ち良い風が入ってきた。クーラーの出番もまだ何度かはあるだろうが、暑さも漸く峠を越した。私は暑さに強い方だが、今年の暑さは、本当に堪えた。幾度も夏バテ気味になったので、鰻を食べたり、肉類を普段より多めに食べたせいか、少し太ってしまった(笑)。
9月21日、民主党代表選挙で、野田首相が再選された。7割を超す得票だった。本人も陣営も、鼻高々なのであろう。“近いうちの解散”など、どこ吹く風だ。たぶん、野田首相は当分、首相を続けるのであろう。総選挙を行えば、野田首相の総理大臣としての再選には、ほとんど見込みがない。野田首相としても、解散などしたくはない。だったら、ボロ舟だし余命1年もない内閣だが、この際せめて、大臣や副大臣や政務官になっておこうという人たちが、大同団結して野田首相を担いだのであろう。
民主党議員らのその見通しは、確かに正しい。しかし、前回の総選挙で民主党を支持・応援・投票した人々には、彼らの行動をまったく理解できないし、支持する人たちも少ないであろう。民主党党員やサポーターで野田氏に投票した人たちは、わずか3年間で、与党病に罹ってしまったのであろう。これまで民主党は、“改革者”として国民の支持を得ようとしてきたのだが、そんな民主党は今や昔だ。
自民党総裁選挙の結果も、今週にでる。誰が勝つのか知らないが、誰がなっても、まぁ随分と右寄りだ。自民党が右寄りにカーブを切ったところで、自民党の支持率が上がる筈がない。国民の一部に右寄りの路線を望む者がいることは事実だが、そんなことは昔も今も同じだ。しかし、わが国や世界の潮流は、リベラルの路線に向っている。これは、歴史のどうすることもできない流れなのだ。歴史の自然な流れに抗しては、成功を収めることはできないであろう。
問題は、リベラルとは何ぞや、ということになる。リベラルは間違いなく、自由主義の一類型である。社会民主主義とは、系譜を明らかに異にしている。両者は、表面的に捉えるとほどんど違いがないように見えるところが厄介なのだ。しかし、その違いは天地ほどある。政治が混乱している時こそ、原理原則に立ち返って、リベラルと社会民主主義の違いを熱く議論していかなければならないと、私は思っている。
社会民主主義の立場からすれば、社会保障と税の一体改革は、理論的に比較的受け入れ易いのであろう。しかし、自由主義の立場からは、社会保障と税の一体改革は、かなりギリギリの議論の上でなければ、理論的に受け入れられるものではない。自民党や公明党は、前回の総選挙から消費税の増税を主張しているが、ギリギリの議論の上の結論とは思えない。今回の野田首相のように、財務省から吹き込まれて主張しているに過ぎないと私は思っている。
自由主義である私は、基本的に増税に反対である。リベラリストでもある私は、「税金の安い国家こそ、最高の福祉国家である」と主張するものである。社会保障の多くは、俗に社会福祉と呼ばれている。より充実した社会保障を実現するために、消費税を5%(=12.5兆円)も増税することは、そもそも論理矛盾であり、ギリギリの議論の結果でなければ受け入れられるものではない。国民が、消費税10%を素直に受け入れられないのは、私と同じような気持ちなのだと思っている。
まぁ、ともかく今週で、民主党と自民党の狂騒劇は終わる。どんな政治を見せてくれるのか、注意深く監視していかなければならない。行くところまで行ったら、何とかしなければならないと国民も気付き、「自公民・談合の消費税10%」を粉砕しようと行動を起こすであろう。もし、多くの国民がそう思わなかったのなら、致し方ない。好きにすればよい。それにしても、新党『国民の生活が第一』をはじめとする野党の動きは、鈍過ぎる。
それでは、また。