わが国の政治文化
12年11月03日
No.1535
今日は、文化の日だ。休日だが、私はいつものように、白川勝彦法律事務所で仕事をした。私は、債務整理の仕事をしている以上、休日は日曜日だけで良いと思っている。債務整理を真剣に考えている人の中には、土曜日・日曜日しか時間がとれない人が多いからである。週休2日が当たり前の時代となった。だから、私の生活は、あまり文化的とはいえないかもしれない。が、私はそうは思っていない。私は、日曜日に休めるだけで満足している。
11月3日は、明治2年から“天長節”といって、国民の祝日。明治天皇の誕生日だったのが、昭和2年に、国民の請願により“明治節”という祝日となった。“文化の日”と呼ばれる祝日となったのは、昭和21年。ちなみに、昭和憲法が公布されたのは、昭和21年11月3日であった。政治も経済も、社会情勢も、戦後の混乱で先行きが見えない時に、明治節を文化の日と定めた、当時の政治的・社会的雰囲気を、ぜひ思いだして、或いは思いをはせて欲しい。
人間は、目標がなければ、生きいきと生きてはいけない。国家も社会も、同じことがいえる。戦争に敗れ、何もかも失い、先行きが見出せない中で、わが国は、これからの目標として、“文化国家日本を作りたい”と思ったのであろう。私は、昭和25~27年からの生活実感しかない。戦前の古い価値観と戦後の新しい価値観がぶつかり合い、いろいろな摩擦・衝突が社会のあちこちで起こっていた時代だったのは、子供心にも感じ取られた。
新しい価値観に基づいて行われる様々な動きの根底には、新しい文化を作るのだという、気概と雰囲気があった。日本人が、文化ということをこれほど意識したのは、明治初期の時代に匹敵するのではないだろうか。明治の時代のそれは、“文明開化”と呼ばれたが、昭和20年代のそれは、文明開化とはよばれなかった。しかし、いろいろな価値観が激しく変わっていく時だったことに変わりはなかった。その究極の原点は、新しい憲法の制定であろう。
文明と文化との違いを論じると、面白いことになると思うが、今日は止めておこう。とにかく、戦後から昭和30年代半ばまで、「文化国家日本をつくる」ということは、国民・民衆のアイデンテティのひとつであったような気がしてならない。文化生活の中には、3Cも含む。文化勲章に象徴されるように、学問や芸術や科学の別意語という気もする。映画監督の山田洋次氏の受章は、芸能分野なのであろうか。そういえば、映画監督 黒澤明も受章している。
文化については、いろいろな見方・定義があろうが、私は「文化とは way of life 」と考えている。lifeとは、人間生活である。人間生活には、物質的なものもあるし、精神的なものがある。だから、way of life を文化と捉えるのは、かなり広い定義といってよいだろう。しかし、私はこの考え方を変えるつもりはない。だから、私の考えによれば、政治もひとつの文化である。国家・社会には、揉め事はつきものである。政治は、それを解決するひとつの way of life だからである。裁判だってそうだ。
ところで、アメリカの大統領選の結果が、今週にはでる。アメリカも、いろいろな問題・揉め事で悩んでいる。オバマとロムニーでは、解決の方向性・仕方がかなり違う。アメリカの大統領選挙にも、いろいろな問題がある。日本人には付いていけないところもあるが、アメリカ人は、あの方法で大統領を決め、その大統領に問題の解決を託すのだ。専門家の分析によれば、オバマ大統領が再選されるという。私も、それで良いと思っている。
それにしても、日本の政治はどうだろうか。国会の動きを見ていると、これが果たして日本人の way of life だったのだろうかと、疑いたくなる。私には、そう思えないのだ。そんな中で、石原新党や日本維新の会を中心とした第三極の動きが、派手にニュース報道されている。これも、日本人の way of life なのであろうか。これまでも同じような動きがあることはあったが、似て非なるモノであった。日本の政治では、いつも、具体的問題に対して具体的・現実的に対峙してきた。いま話題になっている第三極には、これがないのだ。
私は、先週の 永田町徒然草No.1534「保守を結集する!?」 で、この動きは「たぶん、早晩小さな動きになっていくであろう」と予測したが、それは、このような日本政治の way of life からであった。それから2週間も経っていないが、どうも、そのようになっているようだ。マスコミが勝手に騒いでいる第三極には、まがいモノの匂いがしてならない。少なくとも政治の分野では、国民は、まがいモノには騙されることはなかった。この way of life は、崩してもらいたくないものだ。
第三極という以上、第一極と第二極があるのだろう。マスコミは、民主党を第一極といっているのだろうか。そうすると、第二極は自民党か自民党・公明党連合ということになる。では、この第一極と第二極の違いは、いったいどこにあるのだろうか。わが国の政治にとって最大の問題である「消費税の増税と原発問題」に関しては、この両者の間には違いがない。自公民・談合の消費税10%アップに賛成なのか反対なのかが、極を分ける具体的なメルクマールでなければならない。マスコミは、それを明確にして、政治問題を論じる義務がある。それが、長年のマスコミの way of life であったのだが…(嗚呼)。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。