政治は文化
12年11月10日
No.1536
朝晩は少し肌寒いが、このところの東京は、良い天気が続いている。深まりゆく、秋の日々である。この頃になると、西高東低の季節感を、私は妙に感じる。私が育った新潟県では、11月になるとかなり寒く、雨の日が多くなり、時には、霙まじりとなる。早い年には、初雪も降る。それにひきかえ、東京では雨はほとんど降らず、良い天気が続く。かつては、新潟などは裏日本、東京などは表日本と呼ばれた。気象的には、冬は、まさに裏と表である。
私の実家では、
家内は、自分のいる所では暖房をいれているが、私の部屋では、まだ暖房を使っていない。もっと寒くなれば、もちろん私も暖房を使うが、いまのところ、まだその必要を感じていない。寒くなれば、厚着をすれば良いのだ。だから、今週から私は、ズボン下を着始めた。掛ける物も、タオルケット→毛布→薄い布団と、徐々に変えてきた。外出の際、寒い日はスプリングコートを羽織るようにしている。本格的な冬支度をするのは、12月の暮れごろではないのか。
今週は、オバマ米大統領の再選と、中国の指導者交代のニュース報道番組が多かった。こういう報道は、もっと多くても良いと思う。アメリカと中国の動きは、日本にとって重要なのだから、だ。オバマ米大統領の再選は良かったと、私は思う。たぶん、世界中の多くの人々が、そう思っているのではないか。それにしても、共和党のロムニー候補が勝った州の面積が、アメリカの3分の2に及んでいるのは、驚きであった。伝統的なアメリカは、依然として健在なのだ。
オバマ米大統領が主張する理念・政策は、私が言うところの“リベラル”である。いっぽう、ロムニー共和党候補がいう理念・政策は、古典的自由主義に近いものがあるように感じる。もっとも、こういう考えを最近は“新自由主義”と呼ぶ人も多い。古典的自由主義と対比されてきたのが「新しい自由主義」であり、古典的自由主義者は、これを“リベラル”と呼んだ。これが、伝統的な自由主義の定義である。オバマ米大統領の主張は、伝統的なリベラルの考えそのものである。
いっぽう、中国の方はどうだろうか。私は、いまもって中国共産党がいうところの社会主義というモノが分からない。中国の政治体制は、間違いなく社会主義体制である。今回の共産党大会での胡錦濤総書記は、最後の演説で、「私たちは、西側の政治体制を受け容れることはない」と明言した。政治体制が自由主義体制でなければ、自由主義経済はそもそも無理である。自由主義国家間の経済交流はそれほど難しくないが、そうでない場合は、必ず大きな障害が生ずる。現在の日中間の諸問題は、実は、当たり前のことなのだ。
いずれにせよ、アメリカと中国の政治指導者は決まった。アメリカとの関係でもいろいろな問題があるが、アメリカという国は、自由主義という考えで動いている国である。自由主義者なら、どう対応していけばよいのか分かる。ところが、中国という国がどういう政治的な指導原理で動いているのかが、なかなか分からない。だから、中国との関係がいったん悪化すると、日本人は必要以上に不安になる。それが、現在の日中関係の、最大の問題なのであろう。
アメリカと中国の話はこのくらいにして、日本の政治はどうだろうか。これまでの政治を動かしてきた自公と民主党の考えのどこが違うのか、最近、ますます分からなくなってきた。改革者としての使命を与えられた民主党は、この3年余の間に、自公“合体”政権の悪いところだけを身に付けてきたようだ。マスコミを騒がせている … というより、マスコミが必要以上に騒いでいる第三極も、いったいどのような理念・政策をもっているのか分からない。売りは“政治指導”ということなんだろうが、肝心のその政治理念がおかしいのだから、いったい何処に行こうとしているのか、まったく分からない。
先週、「政治も文化である」と述べた。現在のような政治状況が続くのは、わが国の文化の水準が低いということになる。そういわれたとしたならば、国民にとっても名誉なことではなく、
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。