“大原則”変更のお知らせ
07年12月01日
No.630
待ちに待った12月1日が遂にきた。「高名の木登り」というのをご記憶だろうか。ほとんどの人が高校時代に習った筈である。ちょっと思い出せないという人も、「あやまちは、たやすき所になりて、必ず仕る事に候ふ」といえば、「あぁ、あのことか」と思い出す筈である。永田町徒然草の本家本元の『徒然草』第109段である。
高名の木登り
高名の木登りの名人といひし男、人をおきて、高き木にのぼせて、梢を切らせしに、いと危うきに見えしほどはいふ事もなくて、おりるときに、軒たけばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ」と、言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降りなん。如何にかくいふぞ」と申しはべらしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝あやふきほどは、おのれがおそれ侍れば、申さず。あやまちは、たやすき所になりて、必ず仕る事に候ふ」といふ。怪しきげろうなれども、聖人のいましめにかなへり。鞠も、かたき所を蹴出してのち、たやすく思へば、必ず落つと侍るやらん。
実は10日前くらいから今日の永田町徒然草をどう書こうかといろいろ考えていた。私にとって今日は特別の日なのである。昨年の12月1日から昨日までの1年間、毎日この永田町徒然草を更新してきた。今日そのことを報告するとともに、このことから解放してもらおうと思っていたからである。これまで何度も“危機(!?)”はあったが、なんとか乗り越えてきた。ところが、一昨日の満願日の前日になって、あわやの事態となったのである。
そして、いまもおかしな事態が起こっている(2007年03時30分現在 ─ updateしようとした05時30分には正常に戻っていた)。永田町徒然草新着履歴がダウンロードできないのである。これがないと昨年12月1日の記事を引っ張り出せないのである。だから正確ではないと思うが、そこで「私はこの永田町徒然草を毎日更新します」とは書かなかった筈である(システムが正常になったので念のために2006年12月1の永田町徒然草を確かめてみたが間違いなかった…笑)。私も最初から毎日更新しようとは思わなかった。しかし、新しいシステムを作ってもらい、自分で実際にやってみると意外に簡単だった。書きたいことはいっぱいあった。書くべきこともいっぱいあった。時間もいっぱいあった。だったら、とりあえず毎日書いてみようと密かに決意したのである。
「毎日書こう」と決意したのは、本当に“密かな”決意であった。私は昔から“爆発力と集中力”には自信があったが、“継続力”(すなわち毎日コツコツと行うこと)に欠けるところがあった。その弱点に今回は挑戦してみようと思ったのである。数ヶ月するうちに、毎日更新していることが既成の事実となってきた。そうなると私もそのことを続けてみたいと思うようになったし、毎日更新するものと“期待(?)”する読者も現れてきた。中には「白川、いつまで続くのかなぁー」という興味からアクセスする向きもあったのではないか(笑)。
こうなると双方が意地になる。私も毎日更新しようと思うし、アクセスする方も「今日はどうかなぁ」となる。最初のうちは、とにかく日を跨いで空白がなければよいと考えていた。従って、47(48-1)時間くらいの間隔があったのだ。その間に書けばよいのだ。東京にいれば、それは本来ならばなんでもないことなのだ。しかし、そのうちになんとなく毎日朝には新しい永田町徒然草をupdateするようになった。そうすると毎朝、永田町徒然草を見にくる人が出てくる。昼ごろまでにupdateしないと「白川、どうしたんだ」と電話をかけてくるありがたい友人もいる(笑)。毎朝永田町徒然草を読んで一日をはじめるなどという読者がいることは、書く方としては冥利に尽きる。私としても朝(最低でも午前中に)updateしようと思うようになった。このこと自体は、普通ならば大したことでもなんでもないのである。
だが、私の“爆発力と集中力”が災いしてコンピュータの前に座ることが困難な事態がときには生ずる。そのほとんどは麻雀である。とにかく一度卓を囲むと、3日くらいやらないとやった気がしないのである。旅行などで予めコンピュータの前に座ることができないときは、事前にコンピュータにセットしておくことができる。そういうことは何度もあった。麻雀はそれほど予定して行うものではない。友人たちとなんとなくはじめて自然とそうなるのである。以前だったら、そのまま徹夜麻雀となったのだが、私は永田町徒然草を書くために適当なところで切り上げるようになった。昔からの雀友(麻雀友だちのこと)の中には、怪訝に思う者もいたくらいである。
まぁ、こういう困難を乗り越えて、1年間永田町徒然草を毎日更新してきた。11月ころから「毎日の更新は、満1年経ったところで一区切りにしよう」と思うようになった。毎日書くことが負担なという訳ではない。毎日書かなければならないと束縛が、自由(勝手気まま?)を大切にする私にとっては重荷なのである。モバイルコンピュータをもっていれば、この束縛感はかなり少なくなるのであろうが基本は変わらないと思う。1万人近くの人々の目に晒されるものを書くことは、それなりのポテンシャルを己の中に秘めなければ書けるものではない。毎日午前中に書かなければならないとなると、そのポテンシャルがないのに、あるいはそのポテンシャルが十分でないのにupdateしなければならないことになる。
そのことが負担なのである。読者にとっても申し訳ないと思う。これからも書きたいこと、書かなければならないことは毎日のように起こってくるであろう。それらを日々具体的事例を捉えながら真面目に論評しなければならないと考えている。それは私に与えられた任務だろうと思っている。だから、これからはこうしてもらいたいのである。この永田町徒然草は「原則として毎日更新する」という風に改めてもらいたいということである。新しい永田町徒然草がupdateされていないのは、“特に書くべきことがないからなのか”それとも“白川に何らかの事情があってのことなのか”のいずれかと考えてもらいたいのである。そのことの了解をいただければ、私は相当に“自由”になる。自由をこよなく愛する私のわがままを許していただきたい。
最後に明日とりあえず自由になるために、額賀財務大臣の証人喚問が行われなくなったことに触れておく。ちょっと無様な感じがするが、国会の攻防は大相撲みたいなものである。なかなか全勝とはいかないものである。15日間のなかで勝ち越すことが肝要なのである。学生横綱だった者が大相撲で必ずしも出世しないのは、学生相撲は一日の勝敗(トーナメント戦)で成績が決まるからだといわれている(優勝決定の仕方にはちょっと自信がない)。そういえば韓国のシルムは、モンゴル相撲よりもはるかに日本の相撲に似ているのだが、これも1日のトーナメントでチャンピョンが決まったと思う。“爆発力・集中力”と“継続力”が違いなのであろうか。
衆議院選挙では、解散までは“継続力”が大切である。しかし、一度解散になったら“爆発力と集中力”がモノをいう。どちらも必要なのである。民主党をはじめ野党に、どちらの方が優れているかと問われると難しい。どちらが劣っているとはあえていわないことにする。繰り返すが、“爆発力・集中力”と“継続力”のどちらも求められるのである。これは自公“合体”政権を倒したいと思う国民についてもいえる。国民についていえば、“爆発力”はあるような気がするが、“継続力”にちょっと不安があるような気がする。自公“合体”政権は、官僚機構・行政という継続力をもっている。自公“合体”政権は、強い影響力のあるマスコミももっている。マスコミの情報支配には“爆発力”も“継続力”もある。油断などできない。私がこれからも「原則として毎日更新」しなければならない理由はそこにある。
それでは、また。