政治決着とは
07年03月20日
No.370
日曜日の出張が少し無理があったのだろう。昨日も風邪との闘いであった。昨日はどうしても出かけなければならない用事がひとつだけあった。朝早く出かけた。真冬のような寒さであった。行った所ではビル風もあったために特に寒かった。しかし、昔から暑さ寒さも彼岸までという。こういう日があってもおかしくないのかもしれない。
厚着をしマスクもして重装備で出かけたのだが、寒さはやはり風邪には悪いのだろう。だいいち厚着をして動くと汗をかく。そうすると今度は身体が冷えてしまう。やはり安静にするしかない。仕事は早めに終りにして家に帰り、良い子になることにした。いつまでも風邪で仕事を休む訳にはゆかない。最近は、少しはやらなければならないこともあるのだ。やることがあるということは、天下の素浪人を決めこんでいた私には非常にうれしいことである。時代劇などで仕官を求めて必死に努力する浪人の気持ちが良く分る。
さて今日は触れなければならないテーマが多い。まずは昨日からのつづきで、福岡高等裁判所の3人の女性殺害事件(北方事件)に対する控訴審判決であろう。1審の佐賀地方裁判所は、別事件で拘置中だった松江輝彦被告人(44歳)が平成元年11月、佐賀県警の任意聴取で3人の殺害を認めて書いた上申書について「任意の限界を超えた長時間の違法な調べで、捜査官に自白を強制、誘導された可能性がある」として証拠採用せず、17年5月に「犯人と推認できる証拠はない」と無罪を言い渡した。
私はこの事件のことは詳しく知らないが、福岡高等裁判所は一審の無罪判決を支持し、検察官の控訴を棄却した。1ヶ月くらい前にも鹿児島地方裁判所において公職選挙法違反事件で自白の強制があったとして無罪判決があった。平成の御世においても、自白の強制の有無が問題になっていることを私たちは深刻に受け止めなければならない。私の最近の感想だが、わが国の司法は私が弁護士の仕事から離れていた30年間に明らかに後退している。警察も横暴になってきた。私が職務質問にこだわるのは、そのような危惧からである。権力と「戦っている」ホリエモンをあえて出演させてまで大きく取り上げたテレビは、この事件をどう取扱ってくれるのか。じっくりとみたいものである。
次は米朝協議で懸案になっていたバンコ・デルタ・アジアの資金凍結を解除した。北朝鮮の核協議は大きく前進する可能性がでてきた。その中で、わが国はいかなる役割を果たすのだろうか。拉致問題の全面解決がない限り、核問題の解決のために何もしないというわが国の方針を他の4カ国はどう見ているのだろうか?一応わが国のビヘイビアを支持するとはいっているが、果たして本音はどうなのであろうか。私は現在の状態を好ましいとは思わない。核問題は、わが国にとっても最大の問題であるからだ。わが国も北朝鮮の核の脅威を取り除くために、積極的な役割を果たさねければならないと思っている。
なぜ今日のような状態になってしまったのか、その原因を考えなければならない。一国の最高責任者がある問題について相手国にのり込むというのは、政治決着をある問題について行う場合である。政治決着とは、すべてのことを呑み込んで複雑な問題を一挙に解決することをいう。国交関係のない国に一国の最高責任者がのり込むということは、政治決着以外の何ものでもないだろう。小泉首相が北朝鮮にのり込んだのは、少なくとも拉致問題について政治決着を図ろうとしたものだったし、北朝鮮としてはそのつもりで受け容れたのだろう。
政治決着で解決しようとした問題が結果として決着できなかった場合、一体どうしたらいいのか。政治的に決着をつけようとした問題を、その後で事務方が出てきていくら努力してみても問題が解決する筈がない。事務方がいくら努力しても解決できない問題を解決しようというのが、政治決着というものだからである。要するに「伝家の宝刀」で切ろうとしたのだが、スッパと切れなかったのだ。それを「伝家の宝刀」に比べれば鈍(なまく)らの刀でいくら切ろうとしても、上手くゆかないのは当たり前のことであろう。ここまで教えてやったのだから、あとは自分で考えろよと安倍首相にいいたい。少なくとも拉致問題の政治利用はよくない。
それでは、また明日。