空爆への反撃だとしたら
15年01月10日
No.1731
この二日間、私は、フランス・パリで起こった新聞社襲撃事件に大きな関心を持っていた。それにしても、ほとんどの情報は、外国の通信社からのものばかりだった。それに、わが国における報道の少なさにも、驚いた。今日は土曜日なのだから、特番を組んでもおかしくない事件なのだが、ルーティン的なものばかりであった。これが、わが国における報道の水準なのであろう。表現の自由・報道の自由に対する挑戦だ、と大騒ぎしているのに…。
今回の襲撃は、その襲撃方法といい、逃亡といい、極めて“劇的”であった。まさに、世紀のテロ事件といってよい。ヨーロッパとアメリカにおいては、市民の間に大きな反応が起こっている。そのことに異論はないのだが、ひとつだけ、腑に落ちないところがある。フランスと“イスラム国”が戦争状態にあるという視点を抜きにして今回の事件を見ると、その本質を見失うのではないか、ということである。
今回の犯行が“イスラム国”と何の関係がないものならば、イスラム過激派が行ったテロと断じればよい。しかし、“イスラム国”が、アメリカやフランスの“イスラム国”に対する空爆への反撃として今回の襲撃を行ったのだとしたら、表現の自由に対する侵害と言っているだけで良いのだろうか。戦争では、何でも行われるのだ。戦争とは、そういうものである。
現在の報道では、今回の犯行を行った3人は殺害されたという。私がいちばん知りたいことについては、フランス当局の発表を信じるしかない。“イスラム国”が今後どのようになるのかは、私には分からない。しかし、テロというものに対する概念を、少し考え直す必要があるような気がしてならない。“テロとの戦争”という言葉を初めて使ったのは、ブッシュ米大統領だった。
それでは、また。