“民衆革命”とは…!?
09年06月23日
No.1205
イランの政治が動いている。私はイランに一度も行ったことがないし、そもそもイスラム諸国のことは不案内である。私が国会に当選した(1979年10月))前後も、イランの政治が激しく動いていた。パーレビ国王が国外追放され、亡命していたホメイニ師が帰国、同師を最高指導者とするイスラム革命が成功した。在イラン・アメリカ大使館占拠事件が起こったのは1979年11月であった。
ここでイラン情勢やイラン・イスラム革命について述べようとしているのではない。そんな力は私にはない。だからイランに関する報道はできるだけ注意してみている。そんな中で、パーレビ国王を追放し王制を打倒した政治的な動きは、当時“民衆革命”と呼ばれたとの報道に接した。テロップにはっきりと“民衆革命”とあった。私が得心したのは、この点であった。
最近私は、“民衆革命”という表現をよく使っている。政権交代という言葉は、いまや挨拶代わりに使われるが、“民衆革命”という表現にはほとんど接することができない。ところが、「自公“合体”政権のこのような悪行が横行している現状ならば、外国ならばとうに暴動や革命が起こっている」という論説にはかなり接するのだ。言わんとすることは理解できる。
確かにわが国では大規模なストライキや暴動は起こっていない。だが国民が怒っていない訳ではない。否、その怒りは臨界点に達している。爆発寸前である。デモや暴動が起こっていないという見方・表現は皮相である。国民は自公“合体”政権を倒す機会を虎視眈々と狙っているのだ。国民は時を窺っているだけなのである。それが来るべき解散総選挙なのである。半世紀以上も続いてきた政権を倒すのは、ひとつの革命であろう。これが革命でなければ、何と呼ぶのだ。
民衆が立ち上がらなければ革命など成就するものではない。民衆に支えられなかった革命があったら教えて欲しい。革命には何らかの革命党が存在するものだ。レーニンはそれを前衛党と呼んだ。そして「前衛党がなければ革命は成就しない」といった。ロシア革命ではロシア社会民主労働党・ボリシェブィキが前衛党であった。中国革命では中国共産党である。
ロシア社会民主労働党・ボリシェブィキや中国共産党に比べれば、わが民主党はなんとも心もとない。革命党の雰囲気などほとんどない。しかし、私は最近「必ずしも革命党など存在しなくても革命が成功する場合もある」と考えている。すなわち革命党に指導されない革命である。民衆が民衆の力で行う革命である。そのような革命をイメージして、“民衆革命”と私は呼んでいるのだ。現代ではかえってそのような革命の方が良いのかもしれない。革命されなければならない革命党もけっこう多く存在するからである。
革命党に指導されない革命はあっても、民衆が立ち上がらない革命などない。民衆が立ち上がる切っ掛けは、多くの場合“怒り”である。昨日、自公“合体”政権は日本郵政株式会社の西川社長の続投を認めた。国民の怒りの炎に油を注ぐ所業である。自公“合体”政権は火に油を注ぐようなことばかりやっている。国民の怒りは臨界点に達し、爆発しようとしている。まさに“民衆革命”前夜である。これが今日のわが国の情勢である。
それでは、また。