時代が変わるとき。
09年09月17日
No.1291
昨日は全国的に日本晴れのようであった。東京もそうだった。まるで鳩山内閣の誕生を祝福するようであった。鳩山内閣を誕生させたのは、国民の怒りだった。鳩山首相はそのことを肝に銘じていると思う。首相に指名されて、初の記者会見に臨んだ鳩山氏の言葉にはその想いが感じられた。昨夜もいささか興奮しながらテレビでニュースをみていた。新しく就任した閣僚の記者会見をみようと思っていたのだが、疲れていたので眠ってしまった(笑)。
この段階で、鳩山内閣の課題は多い。また日本の政治について論じなければならないことも沢山ある。こういう時代には日本という社会が大きく変わっていくのであろう。そのような変革でなければ、“革命”とはいえない。私に言わせれば、今回の政権交代は自公"合体"政権の出鱈目とそれに対する民衆の怒りから始まった。そう考えると、論ずべき課題と解決策がそんなに難しいと思わない。しかし、政権交代という“事態”がひとたび起こってしまうと、事態は勝手に先に進んでいく。それを困ったことだと思う人と、これを好機(チャンス)と受けとめる人は、まったく異なる行動をとることになる。
こういう場合、保守とか革新などという皮相な分類はあまり関係ないと私は思っている。社会と己をどのように捉えるかによって、それぞれの生き方が決まってくる。昭和20年代――社会が音をたてて変わっていく時に、私は物心をもちはじめて育った。私にとって、社会が変わっていくことはごく当り前のことであった。社会が変わっていくのはそれを望む人がいるからだ、と子供ながらに知ることができる環境で私は育った。激動の時代に発すべき言葉は難しい。ときに言葉は虚しくさえある。あえて文豪の句で締めよう。
菊根分け あとは自分の土で咲けp>