暴言・妄言等の根っ子
13年05月18日
No.1573
このところ、数人の政治家の発言が問題となっている。その先鋒は、安倍首相の「脅しに屈しない」発言だったのだが、マスコミはこれをスル―してしまった(参照:永田町徒然草No.1568「見識を疑う安倍首相の発言」)。昔ならば、この安倍発言そのものが大問題になったのだが、わが国では、大きな問題とならなかった。それで調子にのったのか、高市自民党政調会長のおかしな発言が飛び出し、そして今度は、橋下徹日本維新の会代表の慰安婦発言だ。
私は、国会議員としてかなり多弁な方だっし、かなり本音の話をする方だった。しかし、私の発言それ自体が失言や暴言として大きな問題になることは、なかった。だから、「真意ではない」といって発言を訂正したことも、撤回したこともない。現代の政治は、言論を武器とする闘いである。政治家の言葉は、弾丸である。「あの弾は、間違って撃ったものです。すみません」で済むものではない。
それにしても、最近はどうして、内外で政治的に問題となる発言を口にする政治家が多いのだろうか。その原因は、一口にいって“政治的な土台”がしっかりと確立していない政治家が多くなったからである。敢えて政治的素養とか政治的見識と言わずに“政治的な土台”と表現したのは、人間としての社会性を含めたものが政治家に求められるからである。
例えば、高市氏の発言などは「来年のことを言うと鬼が笑う」の類で、世間では最初から相手にされず、それでお終いである。その類のおバカさん加減を露呈しているのが高市発言であり、まともに付き合う気もしない。また、日本維新の会の西村真悟衆議院議員の発言に至っては、政治的に意味不明な発言である。同氏の発言や行動は、これまでもそういうモノが多かったのだ。
最近問題になった発言は、どれも、憲法改正派の面々から発せられた。彼らの発言が問題となるのは、昭和憲法の価値観から離れているからである。昭和憲法の価値観は、いまや国民の中に定着しており、これに反するモノは国民の肌感覚で拒絶されてしまうことを、彼らは理解できないのである。彼らは、昭和憲法の条文は尊重するといっているが、本音では昭和憲法の価値観を否定している。だから、こういう齟齬が起こるのだ。
既に2回、私が月刊誌『マスコミ市民』に書いた「憲法改正問題講座・昭和憲法とは !?」を永田町徒然草の記事として掲載したのは、昭和憲法の価値観を、深いところで理解して貰いたいからである。前回の永田町徒然草をよく読んでいただければ、“押し付け憲法論”のおかしさが理解できる筈である。今回の従軍慰安婦発言も、昭和憲法の誕生の経緯に遡れば、その不適切さが理解できると思う。
どうもパソコンの具合が悪い。今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。