狂った権力と闘うことは、野党の義務
15年09月16日
No.1777
国会の与野党の攻防は、いよいよ最終闘争が始まる。安保法制特別委員会の鴻池委員長が、明日9月16日午後6時から締め括り総括質疑(国会用語で“しめそう”という)を行うと、職権で決定したからである。これまで何度か鴻池委員長について触れおこうと思ってきたが、その機会を逸してしまった。鴻池委員長は、典型的な右翼反動の参議院議員なのである。彼は遂に、その本性を現わしたのだ。国会おいて委員長は、委員会の運営について絶対的権限をもっているのである。
国会の審議状況を見ていれば、その結果が示すように、与党の完全な負けである。その結果とは、各種世論調査で7~8割近くの人が、今国会での成立を否定的に考えていることである。安倍首相自身も、国民の理解が得られていないと認めている。高村自民党副総裁に至っては、国民の理解など得られなくても仕方ないのだと、開き直っている。安倍首相は、「熟議を果たした上で、決めるべき時は決める」のが民主主義だという。これまでの衆参の審議を“熟議”という安倍首相の神経は、異常である。
「国民の命と平和な暮らしを守るため」、「国民の生命と自由と幸福追求の営みを守るため」に今回の安保関連法案が必要なのだと、安倍首相らは言う。彼らは、安全保障環境が特段と厳しくなったから、いま直ぐに成立させなければなないと言う。安全保障環境が厳しくなったか否かくらい、国民だって判断できる。多くの国民は、冷戦時代の軍事的緊張を知っている。ソビエト ─ 旧ロシアが北海道に侵略する可能性を多くの国民が認識していたからこそ、専守防衛という防衛政策が確立されてきたのである。
以上のようなことを“総合的”に考慮した上で、国民の7~8割の国民は、この国会で安保関連法案をいま直ぐ急いで成立させる必要はないと判断しているのだ。安全保障政策は、多額の予算を必要とするものであると同時に、ひとつ誤れば国民に死活的な惨禍を
9月16日の地方公聴会以後の国会闘争は、すべて頭数で決まる。安保関連法案の採決前に、参議院においては各種の委員長解任案・問責決議案等々、衆議院においても内閣不信任案等々が提出されるであろう。これらも、基本的にはすべて頭数で決まる。国民は、ここ数回の国政選挙でいい加減な議席を与えていたことを、
今回の参議院の採決を、自公“合体”政権は、“強行採決ではない”というであろう。それは、維新の党の一部・次世代の党・日本を元気にする会・新党改革などが、安保関連法案に賛成したことを指すのである。昨晩のテレビに、次世代の党・元気にする会・新党改革の代表者が、満面の笑みで与党代表と握手していた。この3党は、“例外なき国会承認”を法文に明記することを求めて、自公“合体”政権と修正協議をしていたのだ。
しかし、安保関連法案の修正を自公“合体”政権は拒否し、閣議決定や付帯決議に入れることで話がついたのだ。私は、3党の顔ぶれを見ていて、どうせこんなことだろうと思っていたが、案の定そうなった。もともと与党になりたくて、うずうずしていた輩であるから、当然といえば当然である。問題は、この最終局面で維新の党が投票行動で割れて、党としてズタズタになることだ。そもそも、橋下徹なる人物を持ち上げて維新の党を作り上げたのは、問題の多いマスコミであった。そんなものを整理しておくことも、この際、必要だろう。
民主党の岡田代表は、「この安保関連法案を廃案にするために、“あらゆる手段を尽くす”」と、度々発言している。野党第一党の党首がそういうのであるから、私は期待している。安倍首相・自民党・自公“合体”政権は、もう狂っているのだ。狂っている政権に対して、あらゆる手段を尽くして戦うのは、野党の神聖な義務である。野党は、遠慮せずに何でもやれば良い。そこから、新しい日本が始まる。9月14日も15日も、私は、国会正門前に行った。最後まで、私は行くつもりである。安保関連法案を廃案にしなかった場合、恐ろしいことになる。私には、それがハッキリと見えるからである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。