『いまリベラルが問う』の出版!!!
07年07月16日
No.489
台風4号の来襲に翻弄された3連休である。今回は東京も直撃されるのではないかと覚悟していたが、直前になって東京をそれて東進した。私の住んでいるところでは、雨もほとんど降らなかったし風も大したことはなかった。各地で大きな被害を出したようだ。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。さて、私の著書『いまリベラルが問う』が近い内に発売される運びとなった。今回の出版には、少しく苦労があった。
私はこれまでに6冊の本を出版した。いわゆるゴースト・ライターなどに書いてもらったものでなく、いずれも私が書いたものである。忙しい政治活動の中で書くという困難はあったが、執筆そのものには苦労はなかった。また出版にも困難はなかった。私の後援会の方々が1万冊くらいは買ってくれた。というよりも、本を販売することが政治活動でもあった。だから、どの出版社もすぐに引き受けてくれた。少なくとも出版社に損をかける心配はなかった。
永田町徒然草を毎日書くようになってから、私はこれを本にしたいと思うようになった。私が永田町徒然草を毎日書くのは、趣味でもなければ道楽でもない。いまの私にできる、いややらなければならない政治活動なのである。だから毎日更新しているのである。しかし、私の身近な人でも、これを読んでもらえないのである。インターネットが普及したといっても、そのような人はまだまだ相当数いるのである。だからといって、こうした方々に毎日プリントして郵送する訳にもいかない。これが本にしたいと思った理由である。
すでに原稿はある。しかもデジタル化されている。だから本にすることは、いとも簡単なのである。しかし、そうは問屋がおろさなかった。まず出版社というのは、本屋なのである。出版社というのは、第一章、第二章……第n章となっているものでないと“本”と考えないところがあるようである。例えば、永田町徒然草を本にするとしても、末尾の分類別に編集してしまうのである。それでは、私の意図するものとは違ったものとなってしまう。永田町徒然草は、毎日毎日が勝負なのである。時系列に意味があるのである。また一つひとつは、それだけで完結しているつもりなのである。それを仮に“国内政治”という分類で括っても、あまり意味があるとは思えない。
次はやはり購買部数である。近年、本は本当に売れないのである。そのことはこれまでの出版を通じて私も知っていた。だから一定部数を買取ることは、出版社としてはありがたいことなである。しかし、いまの私にはそのようなことはできないし、またそこまでやって出版する意味もない。かつてのように本の販売を政治活動として行わなければならない事情もない。だが一定部数が購買されなければ、出版社としては損失がでる訳である。私としても何千冊は必ず売れるというほどの自信はない。損失を覚悟で私の趣旨を理解して出版するという会社は、なかなか現れなかった。
そんな中で「やりましょう!」といってくれたのが、株式会社イプシロン出版企画の社長であった。大学が同窓ということがあったのかもしれない。私は買取は約束しなかったが、同社に損失をさせる訳にもゆかない。もっと大切なことは、一定部数が売れれば今後とも永田町徒然草を本として、多くの人々に届けることができるということである。Webサイトで永田町徒然草を読んでいただいて方には理解してもらえると確信しているが、この出版は継続してこそ意味がある。私としても私のできる範囲でいま販売に努力しているところである。
「はじめは、すべて困難である」は、マルクスの『資本論』の冒頭の言葉である。私にとっては、いまがまさに「はじめ」なのである。永田町徒然草シリーズの第1巻の第1版が“勝負”なのである。そのような事情で、Webサイトで永田町徒然草を読んでいる方々にもご協力をいただいて、この勝負に勝ちたいのである。私のこの気迫を汲んでくれたのか、昨日Webマスターがえらく気合の入った宣伝のページを作ってくれた。詳しくは、そちらの方に書いてある。私の意のあるところをお汲みとりいただき、ぜひご協力を賜りたい。伏してお願い申し上げる次第である。
それでは、また明日。