畏敬・畏怖、そして共生
08年07月29日
No.884
暑い日が毎日続いている。朝のニュースで神戸市で雨のために急に増水した川で4人の学童保育の児童が死亡ことを知った。かなりの雨が急に降ってきたのだろう。私たちが小さい頃、学童保育などという言葉はなかった。私などは、そもそも保育所にも幼稚園にも通ったことがない。私の住んでいた地域には保育所も幼稚園もなかったからだ・・・・・。
大人たちはみな仕事で忙しかった。子供をかまっている余裕はなかった。だから子供たちは自分たちで遊び、親たちに迷惑をかけるなどしなかった。子供たちにしても、子供同士で遊ぶ方が楽しかったのだろう。子供たちには一緒に遊び合う仲間がいた。私が育った集落はかなり大きかったので、遊び仲間のグループがいくつもあった。そのグループがいがみ合い、喧嘩することなどあまりなかった。しかし、そのグループの間には微妙な壁があり、よそのグループと節操なく遊ぶ子供は何となく敬遠されたような気がする。
私の生まれ在所から2キロも離れたところに信濃川が流れている。小学生の頃は、信濃川では遊ばなかった。しかし、信濃川の支川ではよく遊んだ。小川ではない。子供たちの手で堰を作り、10数メートルは泳げる“プール”を作ったこともある。それなりの河川なのである。神戸市で児童が行方不明なったのは、このような河川のようである。決して小川ではないようだ。里山や近所の森もだいじな遊び場だった。このような河川も大事な遊び場だった。だが、急な雨が降ればその河川が危険なことは、子供たちも知っていた。河川の水が濁れると、子供たちは河川を離れたものである。
昔は自然とうまく付き合うしかなかった。自然をコントロールできるほど人間には力がなかった。それほど自惚れるもいなかった。大きな堤防も作れなかったし、大規模な圃場整備もできなかった。暖房はそれなりにあったが、クーラーはなかった。夏は暑いものと決めていた。自然との共生などという言葉を小さい時いわれた記憶がない。自然と共生して生きいくしかなかったのである。経済が高度成長し、公共事業が行えるようになり、大概のことができるようになった。そんな中で私たちは、自然への畏敬と畏怖の念、そして自然と共生しなければならないことを忘れてしまったようである。神戸市の児童水死事故のニュースを聞いて、そんなことを思った。
それでは、また。