永田町徒然草No.900に寄せて
08年08月14日
No.900
原則として毎日updateしていれば、3ヶ月と10日で永田町徒然草は100号単位で増える。その都度白川の能書を読まされるのは堪らないという人もいるだろう。私もそんな気がする。これからは特別の号でなければ、「永田町徒然草No.○○に寄せて」は止すことにする。しかし、No.800からNo.900までは、私にとってかなり重かった。
No.700からNo.800までは、道路特定財源がテーマだった。このテーマは国政の中心的課題として動いていた。だからこれについて書くことは楽だったし、毎日書く必要もあった。それからの3ヶ月余は状況が違った。自公“合体”政権は国政の関心事を意識的に振ってくるし、これに対する野党の対応もブレている。要するに論ずべきテーマが定まらないだ。本来ならば解散総選挙についてだけ論じていれば好い筈なのだが、野党はそこまで追い込めていない。私一人が喚いていても、お門違いのものとなる。
任期満了による総選挙か、解散による総選挙かは別にして、“総選挙”は確実に日一日と近づいている。ただそれは物理的な“日々”に過ぎない。物理的現象を論ずることは、政治のテーマではない。永田町徒然草は、政治的現象を論じることを主たるテーマとしている。与党も野党も解散総選挙を口にしているが、それに向けて本格的な政治的動きをしていないというのが現状である。オリンピックの柔道をみているが、ポイント狙いのレスリングのような試合のようなものである。
柔道にはそれでも指導、注意、反則があり、それにより勝負が決まる。与野党の攻防には、そのようなルールはない。いちばん問題なのは、すでに“正統性”を失っている自公“合体”政権が国民の代表として現実の政策を日々行っていることである。被害は日々国民に及んでいる。野党は政権交代を言うのではなく、被害を現に被っている国民を救うために一刻も早く解散に追い込む責任がある。
民主党は総選挙があれば勝てると思っているようだが、私はそれほど楽観的見通しをもっている訳ではない。いやそんな楽観的見通しをもてないのだ。確かに有利な状況はあるが、それを現実のものとするためには野党はもっと努力をしなければならない。可能性と現実は、同じではない。選挙は特にそうである。しかし、総選挙を行えば、自公“合体”政権が衆議院の3分の2を超える議席を確保することはほぼ確実に不可能であろう。政治の現実の害は、自公“合体”政権が化け物のような議席を使い衆議院で再可決を繰り返し、国民が望まないことを行うことなのだ。
永田町徒然草のこれからのテーマは、いかにして自公“合体”政権を解散に追い込むかということになろう。そして解散総選挙でどうしたら勝利を掴むことができるかということになる。いよいよ本番である。まだまだ暑さは続くであろうが、“倦まず弛まず”頑張るしかない。これからもアクセスをお願いしたい。そしてその輪を広げることにお力添えを賜りたい。
それでは、また。