裁判員制度と田中克人氏
08年08月22日
No.907
2日間にわたり田中克人氏の“白川勝彦にみる「代議士の誕生」”を掲載した。永田町徒然草に掲載するには少し長すぎる論文だが、私の思想や行動の原点を読者に知ってもらう上で参考になると考えた。田中克人氏は、中央政界に身を置く人で私が最初に知遇を得た人である。氏との知遇を得なかったら、私の大平派入りや当選はなかったかもしれない。田中氏は現在あることに執念を燃やしている。
来年の5月から実施予定の裁判員制度を廃止するために、田中氏は活動している。裁判員制度や田中克人氏については、永田町徒然草No.434『殺人犯を裁けますか?』をまずお読み頂きたい。田中氏が著書『殺人犯を裁けますか?』を世に問うたころ、率直にいって裁判員制度を廃止せよなどという声はほとんど無かった。しかし、最近では多くの人々が裁判員制度に疑問を呈し、つい先日共産党と社民党が“来年5月からの実施を延期せよ”との声明を出した。
白川勝彦法律事務所には毎週のように弁護士会から裁判員制度に関する文書が配布されてくる。裁判員制度における刑事弁護を勉強するために、“模擬裁判”を開催するので参加して欲しいなどという文書である。そもそも私は刑事弁護に関し一家言をもっている。私は刑事事件の無罪判決を2回も取っている。専業で弁護業に専念した弁護士でも、無罪判決を貰ったことがある人は少ない。その意味で、私は刑事弁護について自負をもっている。
昨年、30年ぶりにある刑事事件の弁護を担当した。その弁護を通じて、あまりにも刑事裁判が形骸化・形式化しているのに驚かされた。私が若い頃に経験した刑事裁判は、もっと明らかに人権に配慮していた。私は平野龍一東大教授の刑事訴訟法を信奉し、それに基づいた弁護をした。当時の裁判官は私の主張に十分耳を傾けてくれたものだが、そういう雰囲気はほとんど無くなっていた。いまや裁判所は、検察官の主張を追認する機関に成り果てていると心ある弁護士は嘆いている。その感を強くした。
確かに裁判所の建物は立派になったが、そこで行われている裁判はお粗末になっていると私は思う。日本の司法も劣化しているのだ。一次捜査権を持つ警察が劣化し、検察官も劣化している。そして裁判所も劣化している状況で、基本的人権など守られる筈がない。そんな中で裁判員制度などという訳の分からない新しいものが始まろうとしている。私は裁判員制度なる変なものが生まれた経過をよく知っている。だいたいこの種のものは、“一利を興すは、一害を除くに若かず”の類である。いずれ論及しよう。
それでは、また。