無題の一首
08年09月08日
No.924
今朝の東京は、爽やかな秋晴れのである。昨日も実はそうだったのだ。午後4時過ぎに出かけた頃から俄かに深い雲に覆われはじめ、渋谷に着いた頃にはいまにも大降りになりそうだった。私は辛うじて雨が降る前に目的の店に駆け込んだ。ちょっと遅れてきたお客は、ズブ濡れになって駆け込んできた。完全な夕立であった。
天気の好い日には、まだ蝉の声を聞くことができる。2~3日前、仕事を終えて新橋駅に向って歩いていたら何処ともなく蟲の音が聞こえてきた。暗くなって神宮外苑を散歩すれば、秋の蟲が競って鳴いているのであろう。このように夏があり、秋の気配もある時季を晩夏というのであろう。ところで残暑の“残”は、何が残っている様(さま)をいうのだろうか。暑い日に“残暑ですね”といわれるが、天邪鬼の私は“元々、本当はこんなもんじゃないのかねぇー”と応えることにしている。
今朝の報道番組でも、自民党総裁選がさも重大事のように報じられていた。私がいくら叫んでも、この流れは止まらいであろう。これはどうしょうもない事ではないのだ。自公“合体”体制が仕組んでやっている事なのである。マスコミは分かった上でやっているのである。マスコミが自公“合体”体制に支配されているわが国の実態なのだ。わが国の国民はこれを乗り越えて先に進なけれならない。そこで戯れ歌を一首。
蝉が鳴きコオロギも鳴く晩(くれ)の夏 政治家もなく日本(ひのもと)の国