総裁選の見どころ
08年09月10日
No.926
今日から馬鹿ばかしい自民党総裁選が始まる。結果は麻生氏で決まりである。これは予測でもないし、読みでもない。自民党・公明党のボスたちがそうしたいと考えているからである。自公“合体”体制はだいぶガタついてきているが、まだ無政府状態になってはいない。公明党のボスは、依然として健在である。自民党のボスが誰なのかは定かでないが、親分衆は辛うじて踏ん張っている。
自民党の親分衆たちは、昨年の今ごろ福田康夫氏を総裁にすべく談合した。安倍首相の続投を画策したのも、福田首相を選出したのもこの親分衆たちであった。しかし、その選択は結論からいって間違っていた。2度も選択を間違ってしまった親分衆なのであるから、今回の選択も間違ったものになる可能性は十分にある。そもそもこの親分衆たちには、“政権構想力”が欠如しているのだ。政権構想力がない政党や体制に、政権を維持したり、政権を上手く運営することなどできる筈がない。
政権構想力とは、文字通り政権を構想する力である。ある政権を構想するためには、政策を超えた理念や理論が必要である。ある政権を構想するためには、それを産み出しかつ支える組織力が必要である。もちろん政権の政策を立案しこれを実行する組織も必要である。こうした能力を兼ね備えたリーダーがいれば最高なのだが、現在それは望むべくもない。しかし、そのようなリーダーがいなくても、政権構想力をもった人物が政党や体制の中にいればよいのだ。いまの自民党の親分衆たちの中にそういう力を持った人物は見当たらない。
映画でいうならば監督の仕事なのであろうか。それともプロデューサーの仕事なのであろうか。詳しいことは知らないが、そのような仕事の全部を集めたのが政権構想力なのだ。親分衆たちは、今回の総裁劇の主役に麻生太郎を選んだ。4回目の起用である。待たせたのがちょっと長すぎた。すでに鮮度を失っている。主役としての“キャラ”にそもそも問題がある。過去2回も主役の起用に失敗をしたのだから、この起用が失敗する可能性は十分あるみるのが普通なのだが・・・。いまさらキャンセルをする能力も度胸もない。
今回の三文劇の筋書きも結果もバレている。そういうドラマを観るのは退屈である。今回の三文劇の見所は、誰がどのような役割をどのように演じるかである。脇役として出演する立候補者たち、これをヨイショする“駕篭かき”たち、コメントを加える評論家たち、三文劇と知りながらもっともらしく報ずるマスコミのあり方など見るべき点はいっぱいある。人間はギリギリのところでその本性と本質が現れる。
それでは、また。