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学問と実践

08年11月16日

No.992

近代から現代においては、学問とは科学を学ぶことを意味している。わが国の近代は大雑把にいって明治維新後といって好いであろう。江戸時代においても蘭学を通じて科学を学んだ者もいたし、科学的知識を用いて社会的実践を行った者もいたが、鎖国という時代では主流となることはできなかった。わが国の近代は1868年前後から始まった。わが国の科学の歴史は、せいぜい140年しかないのだ。長めにいっても、せいぜい1世紀半に過ぎない。

いきなり難しそうなこと言い始めた。それは金融危機で右往左往しているわが国の現状をみて、わが国の経済学がお粗末なことを感ずるからである。これだけ国民が不安に怯えているのに、経済学者から対策はおろか現状をどう認識したらよいのかすら明快な説明がない。私は政治学を学んだ者である。政治学者ではないが、政治学の知識を基に政治を認識し、政治の実践を行ってきた。この永田町徒然草の日々の論説もそれに基づいて行っている。それなりの自信をもって発言しているつもりである。

いつも言っているように、私は経済学を本格的に勉強したことがない。“キンケイ”すなわち近代経済学をみっちり勉強したこともない。私が政治に関心を持ち始めた頃から、わが国の経済は順調に推移してきた。その根底には経済学に基づく戦略と戦術があるものと思ってきた。だから、私は経済学者や経済政策や経済活動に携わる人々に対して畏敬の念を抱いてきた。しかし、そうした畏敬の念は完全に吹っ飛んでしまった。現在の経済危機に対して明快な説明すらできない人々を尊敬せよと言われても、それは無理というものである。

日本語くらいは私も読める。だから最近では経済に関するモノを必死に読んでいる。しかし、私は原理原則をシッカリと理解できないと分かったといえないタチである。今日の経済危機に関しその現象を表面的に分析し、それに基づいて問題点や対策を述べているモノは多数あるが、その原因を原理原則に基づいて分析してくれるモノにはなかなかお目にかかれない。問題の本質を正しく把握しなければ、その問題を解決する対策もチャンと立てることはできないであろう。問題を解決するための対策は、政治の役目である。2兆円ばら撒きに迷走する自公“合体”政権の“経済通”といわれる政治家など、私は絶対に信用できない。

それでは、また。

  • 08年11月16日 04時26分AM 掲載
  • 分類: 6.経済

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