天国と地獄
08年12月03日
No.1008
昨朝、私は仏壇に線香をあげてお祈りをして裁判所に向かった。何を願ったかというとある刑事事件の被告人の執行猶予をお祈りしたのだ。刑事事件の判決の予測はだいたいできる。しかし、昨日の事件の場合、有罪は間違いないのだが実刑か執行猶予か最大の焦点であった。その確率はまったく5分5分であった。
求刑は懲役1年6月であった。検察官は実刑を論告で求めていた。昔は実刑にして欲しいなどという意見を検察官は言わなかったものだが、最近では検察官は平気で実刑を望むと平気で言う。そして最近の裁判官は検察官の言うことに忠実だというのが司法界の諦観である。私はそれほど単純に思っていないが、今回の事件の場合、どちらであっても仕方がないのである。
被告人は5年前に懲役1年・執行猶予4年の判決を受けている。執行猶予の期間が満了して1年も経っていないのに今回の犯罪を犯した。現行犯で逮捕されたので公訴事実に争いはなかった。争点は実刑か、執行猶予かだけであった。私は被告人にどちらもあり得る、まったく5分5分だと言っておいた。脅かしでもなければ責任逃れでもなかった。掛け値なしのそうなのだ。
今回の事件の弁護では、私は情状の立証を真剣に行った。情状の立証というと然るべき人を情状証人になってもらい、今後十分に監督しますということが多い。またそれしかないことが多いのだが、今回の場合それでは十分でないと私は考えた。被告人と被告人の家族と何度も相談し、今後の仕事や住居や生活態度をどうするか十分に話し合った。わざわざ引っ越し両親と同居させるようにし、仕事も父親の家業を手伝うことにした。
“反省している、今後は真面目にやります”というだけでは今回はダメだ、と私は考えた。執行猶予にしてもらっても被告人が3度目の犯罪を犯すことはまずあり得ない、そういう環境を整えたという有利な情状を十分に立証したつもりである。それでも私には執行猶予の判決をもらえるという自信はなかった。最後は私自身も神仏に祈るしかなかった。被告人もその家族もそうだったと思う。
結果は懲役1年6月・執行猶予4年の判決であった。正直いって安堵した。嬉しかった。執行猶予が付かなければ被告人はその場で収監される。保釈中の場合、実刑判決が宣告されると保釈は取り消され直ちに勾留される。執行猶予が付けられるか否かは、まさに天国と地獄なのである。被告人も家族もそれを覚悟して昨日の法廷に臨んだのである。
判決終了後、裁判所の近くの食堂で昼食を一緒にとった。被告人は一昨日ふたりの子供を連れて東京デズニーランドに行ってきたという。それを聴いて執行猶予の判決をもらえたことを本当に良かったと私は思った。この被告人が再び犯罪を犯すことはないと私は確信している。刑事事件の弁護は、このような手応えがある仕事である。道路特定財源でも迷走している麻生首相や自公“合体”政権の動向を論評するなどというよりはるかにやり甲斐のある仕事である。
それでは、また。